ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「神」に祈れていますか?

ロゴスの小径へようこそ。

「神」の定義ってなんでしょうね?

「神」とは、私たち人間とは格が違う、
超越した、理解できない、目に見えないものだそうです。

宗教を信じていない人でも、
それはわかる気がしませんか。

人間の形をした、人間が勝手に想像して作った「神」は
信じられなくても

なにか、そういう超越したもの(「神」と呼ばなくてもいいわけです。
便宜上、「神」と呼ぶだけで。)が
宇宙を創り、世界を創った。ような。



神の姿や考えは、私たちには知りえません。

そうでなくては「神」とは言えないですよね。


よく、キリスト教で「偶像崇拝」が禁止されている、と
聞きますが(授業で習いましたよねえ!)

それは、

私たちの知りえない
「神」を、人間のレベルに引き下げて
自分たちの知っているものに置き換えて拝むという
大きな罪だからだそうです。

ちなみに仏教でももとは偶像崇拝を禁止しています。

ブッダやキリストのその願いもむなしく、
偶像だらけですけどねえ・・・w


ところで、神の像を作って拝むのがいけない、
だから
それをしない、宗教の信者ではない自分には罪はない、と
思っていませんか?

私は思っていました!!!・・・。


偶像とは、神の像だけではありません。

自然もまた偶像です。
自然という、私たちの知りえる、目に見えるものを拝む。
太陽や月や岩を拝む。

これもまた偶像だそうです。

それどころか、
幸福とか
満足とか
金銭とか

そういう、人間の価値判断で決めたものを
良いものとして追いかけ、求める。

これもまた偶像崇拝に他ならないそうです。


私たちは常に、
神そのものではなく、
偶像に祈り、偶像を求めていたんですね。

まるで洞窟の奥につながれた
そこだけが世界のすべてだと思い込んでいる囚人のように。


ところで、「神」が人間にとって「善いもの」かというのも
実はわからないですね。

しかしそれでも信じるのが信者です。
無条件に信じるのが宗教ですから。



さて
あなたは
「神」に祈れていましたか?



いかがでしたでしょうか。

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