ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「言葉」を大切にする、とは

ロゴスの小径へようこそ。

言葉

とは

人間が人間足りうる
とても大事なツール。

人は自分の考えさえ
言葉がなくては理解できないのだそうです。

確かに、
人に語らなくても
文字に書かなくても
(しかしそうすることでより明確に)

私たちは言葉で思考して
考えをまとめていきます。


言葉、とはロゴス。

それはとてもとても大切なもの。


言葉を大切にする、というのは
その人の品格さえ表わすんだという意味を
最近やっと理解しました。


物事を知っていて難しい言葉や丁寧な言葉を使うのが
その人を表わすのではありません。


哲学者の中島義道氏が
表面だけの言葉を発する人にあれだけ大きな怒りを覚えるのは

その言葉には、その人の思いがこもっていないからです。


表面的な、心の底からでない言葉を浴びた時の虚しさ。


「ご冥福をお祈りいたします」と言った時
あなたは本当に祈っていますか?本当に?



少し前に、知人が若くして亡くなりました。
友人のまた友人、だったのですが

友人にかける言葉が
私にはなかった。

以前ならきっといろいろ言っていたと思います。

元気だして
彼は幸せだったよ
またいつか会えるよ
あなたのせいじゃないよ
あまり落ち込まないで
しかたないことだよ


・・・でも
どの言葉も
友人をどう傷つけるかもしれない

そして、それを言う時本当に心の底から
そう思っているのか??


結局私は
何も言えないけれど
自分も悲しいんだということを

まるで逆に友人に私のつらさを伝えるように

伝えることしかできませんでした。


言葉のもつ力を慎重に考えたら
簡単な言葉など出てくるわけがないのです。


けれど私は
そんな「常套句」よりも

もっと人を傷つけることができる言葉があると
最近知りました。


それは
その言葉を言うことで
相手のことを思っている、ように見せかけて

それを話している自分、が好きなんだなあと
わかってしまうような言葉。



最近、とある出会いがあり
その方もたまたま今、仕事をしつつの介護中でした。

そしてはからずも
言われて傷つく言葉が同じでした。

「無理しないでね」という軽い言葉。


仕事をしつつの24時間介護です。
それだけで、もう無理です。

無理をやめたら
介護対象は死ぬ場合もあります。

そういう状況です。

その無理をやめろ、と言うのであれば
代わりに介護をしてくれるのか
仕事をしてくれるのか

そういう覚悟があるのか


・・・
たいていの人は「常套句」で
無理しないでね、と言ってきます。

被災者に言ってはいけない言葉
「がんばってね」を
本当に心の底方がんばれと思うのであれば
寄付なりボランティアなり、になるはずですが

ただただ
がんばってね
と言うだけ。

そこに責任は何もない。

単に、そういう時に言う言葉である、というだけ。


その言葉がどんなに相手を傷つけるのか。

傷つくのはつまり、
こちらのことを考えて発した言葉ではなく

単に表面的な言葉だったり
「相手を慮っている自分」への言葉だったりするからです。

それが

透けて見えるからです。


ちなみに、言葉は全く同じでも
その人がこちらを思って言っているかどうかは
すぐにわかります。

すぐに。


言葉を大切にしている人は
そんなに簡単に言えない言葉があることを
知っています。

ただ語るだけではなく、
言葉の意味、を。

そこへの配慮ができているかどうかで
文章が相手の心に響くかどうかが
違うのではないでしょうか。


私も含めですが、
ブログで誰でも文章を発信できますが

その全員がプロではないのはそこです。



犬が助かって壮絶な介護をしていますが

誰もが言います。

「助かってよかったですね」。


確かにそう思っています。
それは間違いないんです。

けれど

本当に、介護の経験がある人は言います。

「助かってよかった・・・と言ってもいいんですよね?」

と。


ちょっと感動してしまいました。

助かってほしい、生きていてほしい、
けれど
この過酷な介護に

頭をかすめる時もあるのです。
もしあのまま逝っていたら・・・と。

そう思ってしまうほど
過酷なわけです。


それを、理解してくれる人がいたことに
感動したわけです。


人は、体験しないとわからないから、と
その方はおっしゃいました。


確かに私もつい最近まで、

無理しすぎないでね、なんて
簡単に言っていました。

仕事を無理しないでね、と言う時
彼が仕事を辞めたとしたら

その補てんを私はしてあげられるのか?

そんな責任を持てるわけもなく

けれど、

無理しないでね

ということで
責任を逃れるような気持と
やさしい自分であるアピールをしているだけ。



つまり

その言葉が相手を思って発せられたのか
そうではないのか


そこが
言葉を大切にする、という意味なんですよね。

言葉は自分自身を表わしているのですから



ああこの人、
私のことを思って言っているわけではないんだな、と
すぐにわかってしまうわけで

それが、=その人の品格

この人はそのレベルなんだな、と

気づかせてしまうことにつながるので


言葉を大事にしている人は
相手を大事に思う人であり
ひいては自分を大事にするひと(だってそこで評価されてしまうんですから)。



ちなみにこのブログでの言葉は

自分のためも
相手のためも

思っていない、つもりです。

追いかけたいのは
誰のためでもなんでもない

単なる「真実」。


それが哲学なわけです。


真理、真実、もまた「ロゴス」です。



いかがでしたでしょうか。


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