ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「幸福」の作りかた

ロゴスの小径へようこそ。

さて人間には
二種類の「幸福」への道があるようです。

ひとつは信仰。

神を信じることこそが、
幸福へと繋がるという絶対的な信仰です。

ところで、宗教にはなぜ厳しい戒律があるかご存知ですか?

キリスト教でも仏教でもそうですが

人間の避けがたい煩悩を
戒めていますね。

その行為をしなければいい、というだけでなく
煩悩を抱いただけでもいけないのですから
人間には戒律を全て守れないようにできています。

なぜか。

神が望むとおりの、教義、規律通りの自分に
なりきれないことは
周りは欺けても自分だけは知っています。

自分が弱い人間である、という証。

だからこそ、むしろ人は神にすがるしかありません。
許しを請うて。


なるほどー。そういう仕組みでできていたんですねえw

そうして神に縋り
神に寄り添い
一生を終えて
神の楽園で幸福になるのが、宗教の幸福ですよね。
(とはいえ、本来はキリスト教も仏教も
来世の幸福ではなく、現世の幸福を目的としています。
信じれば幸せになれる、と。
でないと人は帰依しないですよね)


さてもう一つ、神と自分の間ではなく、
人間の世界の中で幸福を作るには。


これは近年・・・と思いきや
アリストテレスの時代、つまり
キリスト教以前の哲学の思想です。

つまり、宗教による幸福に対する
哲学による幸福の考え方、というようなものです。


従来の宗教が退廃していく昨今、
(信者の年々の激減・・ただしイスラームのみは信者を増やしているそうです)
むしろその紀元前の思想は
現代社会に沿っているとも言えて興味深いです。


アリストテレスの説の詳細は解説しません(できません)が、

その一部はこうです。

幸福になるための目標を持ち、
それにどう向かうのがベストか吟味して
さらにそれを実践し、
そしてそれを手に入れる。

これが幸せの作りかただそうなので、
現代人の考えと、やはり同じ感じではないでしょうか。



うーん、いい話。

と思いたいですが

哲学の厳しいところは
「実践」し「成果を得る」でないと幸福ではない

というあたりです。

思いついただけ、考えているだけではだめで
実際に目的を手に入れるための方法を
実践すること

さらに
失敗ではだめで
成功すること

が幸福であるわけです。

えー厳しい。

でも真実ですよね。


失敗したけれどやるだけのことはやったので満足?
参加することに意義がある

もちろんそう自分を騙すしかありませんがw

やはり成功に勝る幸福はない、と
本当は知っていますよね。


とはいえ、
成功か失敗かは何をもってそういうのか、また
ゴールはいつなのかはわからないので

とりあえずそれに向かうしかないのですが。

向かわないなら、
成功もあり得ないわけで。


もちろん、がつがつ稼ぐだけのことを成功、というのではなく
その定義はその人次第ですが。

言ってしまえば悪事を目標にして
実践し、成功する、だってありえてしまうわけなので。


それにしても、
こういう倫理(哲学)の問いは
何千年も前からなされていて
そして現代も変わっていないものなんですねえ・・・。


ちなみに私がめざしているのは、
その両方の「いいとこ取り」です。
もちろんそう簡単にはいかないとわかってはいますがw
人生の目標は実はそれです。



とりあえず、幸福に向かって 実践 を
していますか?

(もちろん、幸福が ひきこもり であり、それを実践している、でもいいのです)


幸せは歩いていかないと、向こうからはやってこないそうですwが
まさにこういうことなんですよね。


いかがでしたでしょうか。

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