ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「平等」が一番?

ロゴスの小径へようこそ。

なんでも平等にね、なんて
とくに子供時代は教えられたりしますが

平等の定義も実は難しいものなんですね。


富める人が貧しき人を助ける、平等な美しい社会。
それは一見素晴らしいことに思えますが


では
あなたが
会社で死に物狂いで残業して働いた日
同僚はさっさと帰ってしまったとします。

あなたに発生した残業代は

しかし「平等に」残業しない同僚に分配されたとしたら
どう思いますか?


不公平だ!

と思いませんか?

そうです、つまり
金銭などをただ単純に頭数で割って分配しただけでは

「平等」にはならないわけです。

となると、
「その人の能力にみあった」分配が必要となりますよね。



平等、には二種類があると言えます。

ひとつは
単純に頭数で割ったような平等です。


例えば、犯罪者であったとしても
それに見合う代金を支払えば
買い物はできますよね。

それは「平等な」取引です。


もうひとつは能力(価値)に見合った平等です。

例えばノーベル賞を平等に誰もがとれるわけではないですよね。
本人の能力や育った環境次第、ということになりますから
自販機にお金を入れれば誰でもジュースを買えるような
平等、にはならないわけです。


こんな風に
平等の定義は実は難しいものです。

その人の価値次第、といいますが
その価値判断の基準を決めるのもまた難しい選択となります。


数値で表せるような能力の基準
(速さを競うなど)であればわかりやすいですが

会社で一番お給料が高いのは
一番仕事ができると思われる人、ではなく
その会社の縁者だったり、など

「縁者である」という価値が優先されることもあるわけです。


この思想は
やはりアリストテレスの思想なのですが

平等の権利には二種類があることは
私たちの憲法にも反映されていますよね。


人間の思考能力はもう進化の限界、と言われていますが
確かにアリストテレスの時代の思想が
現代のさまざまな思想(とくに倫理、政治にかかわる)に
いまだに生きています、というか根幹をなしています。

一票の格差、の問題も
この思想が根底にありますよね。



人間が唯一平等なのは
誰もが死ぬ
という一点のみだそうですが、
本当にそうなんですよねえ・・・


命の危険があるとき、
誰から救うのか?どういう順序がより「平等」なのか?

それは
なるべく多くの人が納得できるような微妙なラインを探るしかありません。

その判断基準は国によって違ったりもしますよね。


限りある税金で誰を優先して救うのか?


というような政治の問題も同じことです。


とても微妙な判断の上で
より平等と思われ、
より納得ができるラインを探って

政治的判断はなされているのです。


そう考えると、
何がいい、とか悪い、とか
小さな局面では判断できないですよね。

政治に腹を立てる人はたいていが
自分にとっての平等、を基準に発言しているので
それをベースに話を聞いているとおもしろいですw

もちろんいろんな局面をみて
思想を語る人もいますが、
そういう人は、こういう憲法の思想のベースなども
しっかりご存じな方なんですよね。
ということにもごく最近気づいたのですが・・・^^;



ところで、刑罰とはなぜあるのか。

それは平等のためだそうです。

つまり、被害者だけが加害者に被害をこうむるのが犯罪です。
被害者と「平等に」するために、加害者に罰を与える、という
平等の思想が
現代の刑罰の仕組みのベースになっているそうです。


紀元前の遠い国の哲学者の思想が
私たちの暮らしのベースになっているんですね。

だからこそ
哲学を学ぶことで、いろんなことがわかったりするわけです。


いかがでしたでしょうか。

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