ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「自由」になりたい

ロゴスの小径へようこそ。

あなたは自由に生きていますか?

それとも
自由になりたい、自由に憧れますか?




ここのところ、
ヘーゲルの『歴史哲学講義』を大学のレポートのために再読しているのですが

「自由」についていろいろと思考しています。

ご存じのとおり今は犬の介護中で
自由になる時間がとても少なく
(ブログの更新頻度に反映されますw)

そのことについて特に考えてしまうのかもしれません。


ところで「自由」の定義は
とても難しいものでした。


自由って、自由、でしょ?

と私たちは漠然とわかっているように考えていますが
その定義は実はとてもあいまいなものです。


例えば

職業選択の自由、なんて言いますけれど

実際そんな自由はほとんど無いですよねw

自分の本当になりたい職に就いている人が
どれくらいいるでしょうね?

例えば学校の先生になりたい、として
けれど免許をもっていなければなれません。

つまり職業の選択のほとんどは「必然」から来るものです。

タクシードライバーになりたい、と思えば
免許という必然がないと運転できないですし

免許が不要なものであっても
資格は必要です。

それは能力という資格。

アイドル歌手になりたい、と職業を選択しても
その能力がないならアイドル歌手にはなれませんよね。

大人になったらプロ野球選手になりたい、と言って
夢を実現させるなら
それに見合った体格と努力が必要でしょうし

今の日本で、
大人になったら総理大臣になりたい、と言った時

血縁に政治家がいる という「必然」がつきまといます。


結婚相手を自由に選べる、と言っても

もちろん今の時代は家柄が重視されるのは
ごく一部の家庭でしょうけれど

相手も自分を好きになってくれるという条件や

そもそも自分をみて、相手を決めているはずですよね。
俳優と自由に結婚したい、と思っても
出会いさえない、いえ出会っても到底無理だろ!と思えばw
自然自分に見合った相手と結婚するわけで。
(お互いさま、ですけれどw)

「必然」・・・そうせざるを得ない、という要素が付きまとう時
それは完全な自由、とは言えないということになります。

この三つのケーキから好きなものを自由に選んでいいよ、と言われても

本当に自由に好きに選びたかったショートケーキがそこにないなら

その中から選択せざるを得ない、という必然が付きまとうわけですから。

では「自由」とはなんでしょう?

「自由」とは
それが必然でありながらも、自分が一番欲することであった、
他に選びようもなかったこと。


例えば
くじの入った大きな箱があって
そこからくじ引きをする。

あなたは一等を当てたい。
それが自由に考えた、誰にも命令されないあなたの欲するもの。

箱に手を入れると
あなたにはそれはわからないのですが、
実はそれは最後の一枚で
一等だった!

という場合、あなたは「自由」を得たことになります。

つまり、
あなたは自由に好きなくじを、それが最後の一枚だとは知らずに引いた。

本当は、最後の一枚なので
それを引くしかない「必然」だったのですが

それを知る由もないあなたは
自由に一枚選んだつもり、なわけです。

しかもそれは自分が自由な考えで選びたい、と欲した一等。

必然と自由が一致する、とはそういうことです。

本来、最後の一枚なのですから
それを引くしかない「必然」なのですから、
選択の自由はないとも言えます。

しかしこの完全な、自由のなさこそが
自由である、とも言えるわけです。



よく、出会いは必然、なんて言いますね。

なんていい言葉なんだ!と思ったりしていた時期もありますw

でも考えたら
私たちが出会える範囲なんかたかが限られているので
そりゃあ必然にならざるを得ないですよね。



今日は休みで私はカフェに行き、自由に過ごした、と言いたいですが

そのカフェも、家から近いという理由で
選んだにすぎません。

本当は森の中のカフェに行きたいですw

しかし森の中のカフェに行くには
乗りたくもない電車や車にのって
移動時間をかけていくしかない、という必然がつきまといます。


人間には、息をする自由しかない、と言われています。

自分の心臓を動かしたり止めたりする自由も
私たちにはないですよね。

たまに耳をぴくぴく自由に動かせる人がいますが
子供のころうらやましかったなあ・・・w
そんな自由さえ私たちにはありません。

生まれる自由ももちろんありません。
(生まれるかどうか選べない)

死ぬことだけは自由ですが、それも息を止めるしか
方法はありません。
(死因がなんであっても、けっきょく息が止まるから死に至る)


日本人には「自由」の思想があまりない、と言います。

「自由」のために戦争をしたりする国もありますが

本来、神が人間の運命を決めている、という思想と対するのが
人間は自由である、という思想になるので

そういった宗教感を持っていないとなかなか理解できないと
思います。
実は私にもぴんときませんw

もともと神が運命を決めている、
この世は神がつくったもの、という思想が
日本にはありませんから。

そんなわけで
欧米の思想が根底にある我が国の憲法
「自由」についてが練りこまれることになっているわけですね。

武家の子は武家
農家の子は農家、

という「必然」でありつつも

それ以外の選択がなかったのですから
それは自由と一致してしまうわけです。
それが「自由ではなく必然だった」と知らなかったのですから。

職業選択の自由、と言われたとき初めて
選択できるものとできないものがあることを知り、
不自由が始まるわけです。




いかがでしたでしょうか。
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