ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分を眺める

ロゴスの小径へようこそ。

愛犬介護がいよいよ激化、
ここ数日1日3時間睡眠です。しかも細切れ。

昨日はまだ3時間連続で眠れたので少しマシでしょうか。

もともと睡眠時間は短い方、とはいえ

この先どうなるんでしょうねえ・・・
やや心配です。

しかし週末までは仕事も忙しく、どうしようもないですね。


結構深刻なのですが
誰も助けてくれませんし

どこかに預けるのも嫌なので
このままなんとかするしかありません。

こうなると人間って
感覚がだんだん麻痺していくというか

考えたらこの三カ月、たまにカフェに行ったとき以外は
食事はほぼ立ち食いです!

朝も昼も、パンを齧りつつ介護

夜もろくに座る時間はありません。

となると
もちろん食事にはこったりできません。
外食もできないし、つくる時間もない、といって
買い物の時間もないので

ほぼ毎日似たようなものをただ食べています。


そうしていると人間って、食に対する思い入れが
なくなっていくんですよね。

断食をされたことある方ならおわかりかとおもいますが
だんだん食のことを考えなくなります。

そうすると、自分が普段はいかに
食べ物のことを考えていたか気づいておもしろいのですが。

(あ、ちなみに私は健康オタクに近いのでw
食事内容はコンビニ・・・なんかにはしておりません。)


食べる楽しみがなくなっても
悲しいことはありません。
そんな時間がないんです。

こうして感覚がだんだん麻痺していくんですよね・・・
人間って。環境に適応しないと生きていけないから。

しかし半面
思考はものすごくクリアになっていきます。
最近は思考ばかりしている、といっても過言ではありません。

しかも先日久々に2時間くらい制作したのですが
不思議な作品にしあがってきています。
いままでの自分とは確実に違います。

普段の感覚が麻痺するのと同時に
なにか違う感覚がものすごくクリアになっているような感じです。



で、何が言いたいのかと言うと


そういう自分の真っただ中にいて
世界の中心を自分においてしまうと

悲しい
どうして自分だけ
とても無理
なにかの罰かも

などなどなどなど浮かんできてしまうわけですが


こういうときは、一歩離れて自分を眺めるといいです。

哲学を学ぶ前の私だったら
本当に自分の感情に埋もれて生きていたので
同じ状況でもすごく苦しかっただろうなあ・・・


いまは何か
他人事のような・・というのとも違うかな・・・

何かとても冷静に自分を見つめることができています。

今日は仕事でちょっといさかいがありました。
その方は、会社の他の皆さんともぶつかる
ちょっと変わった方なのですが
短期のヘルプでいらしている方なので
そう気に病むこともないのですが

うまく避けてきたのに
今日ぶつかってしまったわけです。

感情的に腹がたちました。

気分悪いーー!
久々に家まで不快を持ちかえってしまったのですが


そこでハッと気づきました。

前ならその人のことに腹が立っていたと思いますが

今は、ついそのことを考えてしまっても
その人のこと、ではなく

うまく対処できなかった自分を

うわーまだまだだなあ、自分!!!みたいに
ただただ見つめていたのです。


そしてそれをおもしろいと思いました。
成長したようでしてないなあ、と。


ああこの感じ!!
考えることは同じでも
感情のジェットコースターには乗らずに
いられています。


哲学を学ぶと感情の起伏がなくなる、と言われますが
まったくかまわない、とは思っていましたが

そういう自分を楽しめる、というおまけがついていたとは!


そして
介護のことでギリギリだよなあ、自分

とか

手を貸してくれないツレにむかっときてる自分とか


それをどううまくしよう、ではなくて

ただただ
自分もまだまだだよなあ、と思えて
笑えてしまうというか・・・


ううーん。うまく言えませんが。


以前なら友達や同僚に聞いてもらっていたような出来事だったのですが

今日は自分一人で思いだして
まだまだな自分、を見つめるだけで十分ですw


よく、
冷静になって自分を見つめなおしなさい、なんて言いますが

なんだか気持が暗くなっちゃいます世ねえ!
反省会みたいでw



ではなくて、

自分を眺める。

という感じ。

それくらいで自分を見ると
深刻なはずの出来事も

なんだかどうでもいいことで
少し笑えたりすることもあるかもしれません。



いかがでしたでしょうか。
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