ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「いい人」をやめた結果

ロゴスの小径へようこそ。

世の中には
「いいひと」と「ならずもの」がいます。

ちなみにここでは、「いいひと」を演じているだけの人でも
「いいひと」に含みます。
演じているとしても、いいひとと同じことをしている以上、
いいひとなので。

たぶん、いいひとを演じている人が一番多いのではないでしょうか。

もちろん私もそうでした。


しかし 私は いい人をやめることにしたのでした。
理由はこちら

「いい人」をやめる。


いい人、とは常に
ならずもの に利用されるだけの人です。
しかも、それを自ら望んでいるのです。

いい人ね、と評価を受けるために。
しかし、ならずものへの不満を抱えつつも。


男はつらいよ の寅さんを思い出します。
寅さんは、ならずもの。

年老いたおいちゃんおばちゃんを放っておいて
好きに生きています。

妹のさくらと、旦那さんのひろしは
(というかよくすらすら出てくるなあ・・・昭和だなあ・・・私)

いいひと

なので、寅さんの尻拭いをいつもしています。

もちろん、寅さんをみてわかるように
ここでいうならずもの、とは
人に憎まれたり人を傷つけたりするわけではないのです。

彼は自由に、あまりに自由に自分に正直に生きていて
まわりはそれをひがんだり迷惑がりながらも
うらやましい、と思っているんですよね。

しかし自分はならずものにはなれない。

人に、陰口をたたかれるのが怖いから。

あの人、育ての親の面倒も妹に押し付けてふらふらして・・・

なんて、言われるのがいやだから。



そして、ならずものが好きに生きるには、
いいひと の存在が必要です。
だから世間では、いいひとになりましょう、人には親切にしましょうと
常に言われてしまうわけです。
言った本人が自由に生きるためなのに。


まあ、そんな思考で
いいひとをやめたわけです。
正確には、いいひとを演じる、のをやめたわけです。
もちろん今日明日にぱっと変われるわけもないのですが



今朝、ちょっとした出来事がありました、

義母から留守電がはいっており、
義父が病気をしたのに、ツレ、つまり彼らの息子が
お見舞いにもこないのをお怒りの模様。

どうやら嫁の私が本来面倒をみるべきくらいに
思っているような怒りの留守電でした。

で、その息子が、お見舞いにも来ないことを
親族に電話して詫びるように、とここまではいいのですが

彼がやらないなら私がかわりに親族に電話して詫びろ

というのです。


いやーーーーーーーーーーーびっくりしました!!!

愛犬のことでそれどころじゃないし
そもそもツレ、つまり息子さんとの親子関係の問題で
私には関係がないのに!!

(ちなみに、電話すれば、とかお見舞いいけば、とか
言うことは言ってるんですが)


でも、世間では嫁として当然なんでしょうか?
だからこそ、義母もそれを期待しているのでしょう。

いいひとを演じていた時代の私であれば


うわ!どうしよう!!電話しなきゃ、
お詫びしなきゃ、と思ったかもしれません


しかし今の私は。

どーーーでもいいです。そんなこと。

もちろんツレには伝えましたが、
会ったこともないツレの親族になぜ私が謝るのか
そんな言われはありませんしね。


いいわけの手紙を出そうかとも思いますが

このまま無視して勝手にひどい嫁だと思ってくれてもいいかとも
思っています。というのも

ならずもの

であれば、そんな留守電を聞いて言いわけするよりも

無視するだろうなあ、と思えるし。


でまあ、親族に詫びろという義母もまた
いいひとを演じているんですねえ。
親族に自分の息子を悪く思われるのがいやだ、と
思っての行為です。

義母本人はそのあたりを気にするタイプではないのですが、
まわりかたの圧力に弱かったんですねえ


まあそれも知ったこっちゃないです。

自分の実家を考えたら
そんなことを言わせる、なんて絶対にありえないです。

そう思うと、ツレが実家を嫌う理由も
わからなくはないのですが。


ツレも天然の ならずもの だなあ、そういえば。

何言われてもまったく気にしませんから。



いい人をやめたら

私は楽になりました。


そんなことにかまける時間で
犬と一緒にいたいし


なんとでも言ってくれ。
そんな嫁いらないというのであれば
それでもまったくかまいませんし。



いままで、むしろ
気の毒に思って いい嫁を演じてきましたが

いい夫、いい息子、をツレが演じないので
そのフォローとして、だった気がします。

私も人生もう残りが見えていますし

余計なことに気をつかうのはまっぴら。


まあ、いままで いいひと を演じたツケが
今回のようなことにつながるわけですが。

不機嫌な息子に電話もできない、から
私のところにかけてくるわけで。

であれば

私を怖がってもらえばいいわけです。



というのを
本当にすんなりとできている自分。

心にひっかかるのは、
どうしよう、という思いではなく

怒り

ですね。

むかつくので思いだしてしまう。
きっちり怒ろうかな。

それを私にさせるのはお門違いですと。



私は、私を生きる。
誰かれもから好かれなくても全くかまいません。



こうして、あとの人生、日々不要なものをそぎ落として生きていこう。

あ、ちなみにもちろん、必要なものはむしろ
大事にしていきますが。




いかがでしたでしょうか。
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