ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「祈り」は届くのか

ロゴスの小径へようこそ。

祈りが「届く」なんて言う人がいますが

祈りとはそもそも、届こうが届くまいが
そうせざるを得ないものです。つまり
神がいるとかいないとかそういう考えすらもたずに祈るわけです。

願いを叶えて欲しいとかではなく
祈るしかない、そんな状態で人は祈る。

それが祈りです。

まあ、ちゃんとした宗教をご存じの方には言うまでもないのですが・・・。


自分の祈りが届いて、瑠璃の犬が回復しました、

みたいな申告をたくさんいただいたのですが

(ちなみに申告をしてこなかった方の中には
プロのヒーラーさんが。哲学の本を訳したこともある方で
もちろん本格的な宗教をご存じの方です。
犬のために(プロなのに)祈ってくださって、
しかも犬が回復しても、そのおかげでしたよ、なんて言ってこない。
すごい、と思いました)


今回また再発したことには触れず。

いいとこどり、ですね。うん。



先日犬が死にかけました。
もう駄目だと思いました。

祈るしかなかったので祈りました。

けれど思い知ります。

神とは沈黙するもの。

神さまというものがいて、祈れば願いを叶えてくれるのではないのです。


それでも神にすがるしかない、というのが
神の在り方なわけです。


やはり神さまはいなかった。


そこで、いまのわんこより一足先に逝ってしまったわんこにお願いしました。

苦しまないように
もう一緒に連れて行って、仲良く遊んでいてほしい


と。


しかし願いは叶いませんでした。



翌朝母に、犬が助かったことと
神様なんかやっぱいなかったよ、とメールすると

神様ではなく、先に逝った犬に祈るといい

と返事が来たので


とっくにやったけどだめだった

と返すと



なんて返事が来たと思います?

この手のやりとり、
私の周りのたいていの人は

そんなことないよ、祈りは届いていたよ、とか
(根拠ないのになあw)

祈ったから助かったんだよ、とか


もしくは私同様、

そうだよね、やっぱいないよね神様



となると思うのですが

母からは


「そうだよねえ。死んだ者と出かけた者はあてにならないって言うからねえ」


だって!!!


たぶんどこかの落語の一節なんだと思います。
それまで涙ぐむやら腹が立つやらだった私は

外で歩きつつのメールなのに
吹き出してしまいました。

いま思いだしてもおかしいーー!!


本当にこの母でよかったとつくづく思います。


まあ、こんなときに笑える私も私ですが。



祈りは届かせるもの、ではない。

それでも祈るしかない。


そういう思いをしないで一生生きていければ幸せなんですけどね。


でもまあ、叶わない祈りは「なかったこと」にして
叶ったことだけ数えていける人も多いので

それもまた幸せですよね。


それができない、
どうしても真実を追ってしまう私とあなたのような人たちは
不発の祈りも数えないわけにはどうしてもいかないので
幸せとは言い難いわけですが


しかし母の言った

死んだものと
出かけたものは
あてにならない

というのはまさに事実。
だから
笑えたりしちゃいませんか?


そんなことない!祈りは届くよ!!なんて
自己主張を聞くよりも


事実で笑える、ということ自体が
哲学体質の私たちには
幸せなのかもしれません。




いかがでしたでしょうか。
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