ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「不幸」が作られる原理

ロゴスの小径へようこそ。

幸せってなんだろう、とよく思考するので
不幸ってなんだろう、を思考してみました。

自然災害や事故の被害など
避けようがない、どうしようもないこともありますが

それらは、災害にはあったが奇跡的に助かった、など
「不幸中の幸い」もあり得ます。
なぜならそれらは「偶然」であり
自分で作りだした「不幸」ではないのですから。


そうではなく、

自分で作ってしまう不幸もあります。

それらをいろいろ突き詰めて考えてみると、
結局

「思い残し」

なのではないでしょうか。


したい仕事ができていないのも
いきたい大学にいけなかったのも
もっと違う人と結婚したかったのも
したいことが何もないのも

何もかも

自分でなんとかできたはずの、思い残し。



愛犬たちが亡くなってから
ツレは毎晩うなされています。気の毒なほどに。

犬を数時間置いて出かけただけで、
「もう犬は飼わない!!」と怒っていた彼が

今日は
犬を飼わないのか、とほのめかすようなことを
言ってきました。

かなり驚きました。


私だっていまはとても辛いです。
ちょっと思いだすと涙が止まらないので
考えないようにしています。

けれど

あの壮絶な介護の日々を思うと

もう一度、とはどうしても思えないのです。

家族の助けがあるなら
そう思えたかもしれませんが、
うちは一人暮らしで犬を飼う、という状態と
まったく同じなので・・・。
(また飼ったとしてもツレは何も面倒をみないでしょう)


何をしても後悔はあります。が、それでも

自分にできる全てのことをしたつもりです。

なので
思い残すことは、ツレよりは少ないのだと思います。


そこで気づいたのですが

自分で作る不幸、とは
思い残しを作ってしまうことなのではないか、と。


人生は一度きり。
しかも
本当に明日には死ぬかもしれない。

後悔するような行いを
やり直せる場合もあるけれど、
やり直せない場合の方が多い。

だからこそ

思い残しを作ることは
取り返しのつかない後悔、つまり
不幸せを作ってしまうのではないでしょうか。


何をしたから幸せ、
何をしたから不幸、というのは

人それぞれです。

例えば私はアイスホッケーを生まれてから一度もしたことがありませんが

それをしなくても思い残しにはなっていません。


それが何なのかはまったく人それぞれなのです。



まあ、知らずに済めば思い残すこともないとも言えますが。

例えば私が
明日アイスホッケーをしてみたら
自分にすごく合っていて、楽しくて、しかも能力があることに気付いた!
けれど、もうなにもかも遅い・・・

となれば

思い残し、に繋がってしまいますからw


今私が大学で学んでいることは
そんなことばかりです。

少し齧ってしまったばかりに
自分の思い残しになってしまいそうです。

だから少しでも勉強しなくては。

思い残しを少しでも減らさなくては。



犬の最後のとき
私は犬を抱きました。

ツレは、それまで看取りもしないで寝ていたくせに
起きてきて、「かわいそうだから寝かせろ」と言いました。

以前ならそうしていたかもしれません。

しかし私は
思い残しを作るのが嫌だった。


「何もしないのに、言いたいことだけ言うな」

と言って
犬を抱きました。

(ちなみに息を引き取ったあとですので、
それによって犬が苦しむ、というわけではありません)



何が「いい」のか「悪い」のかなんて
わかり得ません。

(もちろん抱くことで病状が悪化する、なら悪いことですが、
死後遺体を抱くのがいいことか悪いことかは
普遍的な答えはありませんよね)

だから

自分で選ぶしかないのです。
自分が幸せになる道を。


織田信長が最後のとき
「是非もなし」と言いきれたのは

思い残しがないほど
生き切ったからではないでしょうか。


その結果がまわりにどう見えようと

自分が思い残しなく生きることが
自分の人生を生きたかどうかの全てな気がします。


不幸を自分が作るのをやめたいなら
思い残しがないように生きるしかない。

例えばそれが

遊びたいけど勉強しなきゃ、というようなことであっても。


さあいまこの瞬間から
思い残しがないように生きていきましょうよ。

自分の人生なんですから。




いかがでしたでしょうか。

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