ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

嫌われる勇気

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嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

この本を注文しました。
まだ読んでいないのですがw

アドラーは有名な心理学者なのでご存じの方も多いと思います。


自由のためには、嫌われる勇気が必要。

もちろん、
自分が好き勝手やりたいから嫌われてもいい、という
投げやりな方法論ではなく

人のご機嫌ばかりをとっていると自由を失う

嫌われてもいい、という覚悟がないと
自由を得られない


ということです。


人のご機嫌をとることで自由を失っている人は
とても多いです。
私がそうだったように。

ご機嫌をとる、といっても太鼓持ちのようにおべっかを使う、というわけではなく
(もちろんそれも含まれますが)

人が気分良く過ごすために自分を犠牲にして
それで得られる摩擦のない人間関係で満足している状態です。

いえ、満足しているのならそれでいいのです。

が、満足していないから愚痴が生まれるわけで。




自分の身の回りを見ると

嫌われることをいとわず、
自分の言いたいことを言う人は(意地悪を言ったり攻撃したりするのではないのです。
自分の意見を言う、というだけのことです)
少ないですが存在しますよね。

その人が嫌われているかと言うと
むしろ好かれているように見えます。

もちろん全ての人に好かれる人などいないのですから
その人を嫌いな人もいるでしょうけれど。


そういう人はどういう人かと言うと

人に嫌われるかどうかで
自分の発言を決めていない人なのです。
発言した結果、嫌う人もいる、というだけのことなのです。


もちろん自分を犠牲にしても人間関係の摩擦が少ない方がいい、と
思う方はそれを選べばいいだけのことで、
この生き方をしなさい、というものではありません。

ただ

もし人間関係に疲れているなら

周りの機嫌を優先して
自分の自由を犠牲にしている可能性があるので
そこに目を向けてみてほしいな、とは思います。


このブログで宣言している通り、
私は自由を選び
人に嫌われることなどなんとも思わなくなりました。

というか、正確には
人に嫌われるようなことをしているわけでもなんでもなく、

当然のことを発言しているだけなのです。


例えば私は
無料でデザインや絵を望まれて提供することは絶対にしません。

無料で子供の幼稚園のポスターを描いてほしいと言われた時は
お断りしました。

それで私はその友人に嫌われ
あの人は冷たいと吹聴されました。

「子供の」ものだから無料でして当然という
謎の原理はここでは横に置きますが



それで嫌われても私は全く構いません。

嫌われたくないからと無償でそれを受けて
愚痴をいいながら
時間が惜しいとか思いながら
その作業をするよりも

その方がずっといいからです。


そういえば昔は

自分て八方美人だなあ、と思っていて
それが悩みの一つでした。

それでいて全ての人に好かれていたかというと
やはり摩擦のある人は当然ながら、いたわけです。


いまはそれをやめていますので
摩擦のある人もいるでしょう・・・けれど

それが全く気にならなくなったので
それで悩むことはありません。


それでも仲良くしてくれる友達はいるものだとわかりましたし

実は本当は八方美人をしてしまうような
周りに気を使うような人のほとんどが

自由に発言してもそうそう嫌われるものではありません、が

それをしたことがないので、
怖くてできないだけなのだそうです。




嫌われる勇気をもったことで
私の人生は本当に変わりました。


自分にはできない、と思いますか?


それもまた、心理学的には
それを言い訳にして 自分は変わらない と決めている人の思考だそうです。

そのあたりは著書を読んだらまた
思考してみたいと思います。

ちなみに、変わろう、と決めて即日変われるわけではありません。
このブログ上でも、私が変わろう、と書きこんでから
もう1年近くがたつと思います。

泳げるようになるには練習が必要だったように

日々の努力はやはり不可欠ではあります。



今日もシニカルなロゴスの小径。
いかがでしたでしょうか。



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