ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「ぶれない」方法

ロゴスの小径へようこそ。


「ぶれない自分」を持つと、人生の選択はとても単純になります。
しかし、ぶれない自分 てどういうものなのでしょうか?

私も以前はそうありたくて

しかしそうなれない自分にがったりしたり。



友人にぶれない大切さについて話したときには

「その都度、新しい目標にあわせて臨機応変に対応するのも大事」と
言われました。

それで気付いたのですが、

「ぶれない」とはどういうものかを
そもそもわかっていないから

そういう自分になれないのではないか、と。


ぶれない自分、とは


一度決めた目標をかならず達成する、とか
言ったことはかならず実行する、とか
意思をかえない、とか


そういうことではないんです。


ぶれないためには、自分にとってなにが一番大事なのか

それを決めるだけです。

だけ、と言いましたがそこがなかなかつかめない場合もありますが。



例えばあなたに子供がいて
たった一人で育てなくてはいけない。
頼れるものは何もない。

そして子供を愛している。

となれば、

仕事いきたくないなあ、とか
こんな仕事やだなあ、とか
子供嫌いの人とつきあって再婚する、だとか

そういう選択肢はなくなりますよね。


ところで、普通私たちが間違えるのは、ここで

例えば
「子供を育てるために絶対に一生一人で働きまくる」

と決めたらそこから「ぶれない」。


だから、その他のことは全て見向きもしない。

その他のことに自分の心が傾いたら自分を責める。

ああ、ぶれてしまった、と後悔する。


しかし本当の目的はなんでしたっけ?
子供のために仕事をしまくること?

そうではなくて、子供を幸せに大人に育てる、ということですよね。


であれば
子供がどうしたら幸せか

もしかしたら実家に戻り、祖父母と皆で暮らした方が幸せかもしれない。
再婚した方が幸せかもしれない。

「子供の幸せ」という核からぶれなければ、

その方法はどれを取ってもいいのです。


これを、ぶれない というのです。



この、「子供の幸せ」に当たる
核となるものさえ見つけられれば


方法は臨機応変でいいのです。


と考えると

自分が今まで ぶれない自分 でいられなかったのは
その 核 を 方法 と履き違えていただけなのでは、と
思ったりしませんか?


となるとあとは 核 は何かを探す必要があります。


自分が幸せになる


という核を決めたら

そこからぶれない。


他人に気をつかったりどうでもいいおつきあいを続けたりすることが

自分の幸せになるならもちろんいいのですが
ならないのならカットすべき・・・これがぶれない、ということです。


私の 核 は、犬 でした。いままでは。

なので行動は簡単です。
犬のために、介護が両立する仕事を探す。
犬のために、旅行はいかない。
犬のために、友達と会えない。
犬のために、毎日病院へいく。

さみしかったり、大変ではありましたが、しかし核にそって
その都度できることをしてきたので

ぶれない自分であった、と強く思えています。

多少の迷いはあっても大学休学、など
犬を核にしていたので、道は決まっていました。


その核がない今、

また仕事をバリバリやるかあ、と探し出すと

ありがたいことに、以前していたような仕事のオファーが。

・・・しかしまたそこで気付きます。

これは、自分の 核 ではない、と。


もちろん今の自分の 核 は

好きに生きる


ということです。


なので、やや惜しいとも思いましたが
お断りさせていただきました。

好きに生きる方法としては制作と大学が大きな柱なのですが、
仕事を本格的に再開すれば、大学にはいけなくなります。


そういえば
自宅でアートレッスンもこれからはできる、と
一時思ったのですが

考えてみたらそれも、犬のために外で仕事ができない状態だったときの
アイディアでした。

私はそれをしたいわけでは全然ありません。


核 が変わったので
すべきことも変わって来ました。


ここで、自宅でアートレッスンやっぱりいいや、というなんて
自分はぶれている!と

したくもない自宅アートレッスンを無理にやる、なんて

ナンセンスですよねえ。

ぶれないために、我慢する、なんて!


このぶれない、という思想
私にはとても大きな気付きになったのですが

どなたかのお役に立てたらうれしいです。



いかがでしたでしょうか。
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