ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

したい事は「思い出す」もの

ロゴスの小径へようこそ。

やっとお伊勢参りに行くことになりました。そして
日本画の制作を久しぶりに再開しました。

神社を描く作家として
神社へ取材に行けなかったのですから
ずっと描くことができずにいました。

愛犬が亡くなり、自分の時間ができて
そして少しずつ、本来の自分の姿を思い出しているような感じです。

そこで気付いたのが
人って結局どんなに自分を変えようと思っても
子供時代の性格というか人格というかそういうのって
変わらないんだなあということ。

養老院で働く友人に聞いたのですが、
痴呆してしまうと人は子供に戻り

普段どんなにきれいにしていた人でも
全く掃除をしなくなる人がいたり

痴呆して本人は何も理解していない状態なのに
身の回りをピシッときれいにしている人もいたりするそうで

それはその人本来の性格なんだろう、ということです。



私は自分の犬と暮らしたこの約25年
毎朝早起きし散歩に行き
家から出ない日なんて
年に三日もあるかないか(体調の悪い時くらい)


しかし昨日は
夜更けまでゲームをして(だって翌朝早く起きる理由がありません)
朝は10時まで寝て
カフェもいかず勉強もせず
何年ぶりかの旅行の計画で
あれこれ調べて一日が終わりました。(笑


ああそうだった
自分は子供時代は家にいるのが好きで
一日ほぼ本を読むか絵を描くかして過ごしていました。

それ以外は旅行です。
学生時代からはほぼ毎月旅行に行っていました。
自分で企画し下調べできたので
いろんな友達を誘えたから
間をおかずにあちこちに行けていたのです。



それが本来の自分なんだろうなあと
ふと思えたりして。


そういえば今回の旅も友人と企画、
初めはなるべく安く抑える旅を、なんて言っていたのに

結局は宿は有名宿のスイートをとる始末w

友人も私もバブル時代を体験してますから
その名残なんですよね。
いまはお金が余っているわけでもないのに
その価値観はどうにもぬぐえないわけですw

それがもう本来の自分(の価値観)
なんでしょうねえ・・・




で、さすがに今日は
掃除したり制作したりしたわけですが


そこでまた思いだす。


私には描く、制作することが
どんなに大切だったことか。

神社について学ぶと
(正確には神社ではなく古い神、民間信仰など)
心が騒ぎます。

それは以前のようなスピリチュアル的にどうの、というよりも
民俗学的というか
歴史的というか

しかしそれでいて理由もわからず
自分の心の根底を(DNAのような)揺さぶるようなこの感覚。


哲学的な思考を学んでしまった今、
「ない」ものを「ある」とは言えませんが

しかしそれでも
心の底に「ある」この感覚を表層に出すのが
私の制作です。

夜桜を見るとざわざわと心が騒ぐようなあの感覚です。
言葉にはできないので描くのです。


子供時代は実は星ばかり描いていました。
宇宙をみるとやはり
言葉では説明できない心のざわざわがあったのです。


私が以前していたパワースポットめぐりは、
フィールドワークに近いものだと今は思っています。

そして
それが再開できる幸せ。

なんちゃってスピリチュアルのフィルターを取り外した今

私は神々の坐す場所でなにを感じるのでしょうか。



そして今の仕事についても考えなくてはいけません。
もちろん糧となる仕事は大切ですが

介護のためにできうる仕事というくくりがあって
見つけた仕事です。

そう考えるといろいろなことが
犬のためにという理由を加味して選んだものでした。

マンションでさえも。


そうそう、昔は
家に人を呼ぶのが大好きでした。

けれどもう犬のために
いっさい人を呼ばなくなっていました。
(和犬で他人を喜ばないのと、
部屋の掃除に限界が・・・w)



今のライフスタイルは
自然と自分でチョイスしたものではなく

犬のためにできあがった選択だったわけです。
(後悔しているわけではなく
むしろ人生で、動物と暮らした時間があったことは
とてもよかったと思っています。)


犬を飼っていない方はぜひ
自分と関係ない話し、と思わずに

「犬」の部分を「家族」とかに置き換えて考えてみてください。


一人暮らしでない限りは

無理に自分を曲げているはずです。
良くも悪くも。


私はたまたま犬の死によって
いろんなことを思い出せていますが

別に死をきっかけにしなくても
意識すれば思いだせるはずです。


自分の本当にしたかったことを。

もちろんこれから探してもいいんですけどw
でもねえ、

結局子供時代や若い時代に培った
自分のベースの部分は変わらないわけですから


自分が本当にしたかったことはなんだっけ?と
思うような方は

新たに捻出するよりもw
思い出した方が早いですよ



今日読みたい本を読み
制作をして

カフェに行こうと何度も試みましたがやめました。
行く必要を感じなかったのです。


家に誰もいなかったせいもあります。

そうだ、
私は一人でいるのが好きだったんです。

毎日カフェに行くのが好きなのではなく
もしかして毎日一人になりたかっただけなのかもしれません。


これから少しずつ
自分のしたかったことを
取り戻していきたいと思います。

まあ、悪習は忘れたままにしとくべきですが!w




いかがでしたでしょうか。
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