ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「世界は進歩」している?

ロゴスの小径へようこそ。

人類は進化を続け
知識をどんどんつけてきました。

過去のさまざまな先人の知恵を踏襲し
自然の脅威さえ(まだ全てではもちろんないですが)克服の方法へ
日々向かっています。

しかしもちろん近年は
原発をはじめとした自然破壊や戦争や人口減少の問題など
地球の未来に不安要素がないわけではありません。

しかし
未来は私たちの考え、希望、
私たちの手によって変えられる。

だからこそ、明るい未来を夢描き
それに向かっていきましょう


・・・
・・・
・・・


というのが
昨今の流行りですよねえ。




そうですよ、いつものひっかけです!
これやると、たまにうっかり騙された人から文句のメッセージがくるのでおもしろいんですw
(性格悪!!)



でも、そう思っちゃっていませんでした?
私はそう思っちゃっていましたよ。


しかしこれは何の根拠もない説なんです。
海外では18世紀には否定されていますが
日本ではまだ イマココ ですねえ・・・というより
古い思想を引っ張り出してその典拠も知らずに再利用している感じでしょうか。


さてまずは
人類は「進化している」となぜ知り得るのか。

そもそも歴史とは何かという謎は解けていません。

人類が長い時間を費やし積み重ねたもの

でしょうか。

しかしその歴史はどうやって作られるのか?

古くは神によって作られる

と思われてきました。

これまた今の日本では キリスト教のうわべだけ取りこんだ
「なんちゃってスピリチュアル」的な思想で


「こうなることは必然だった」

なんて言っちゃったりしていますが


「必然」という言葉一つでも
どういう意味を持つかは、私は勉強するまでわかっていませんでしたよ。


必然、と言うなら

それは神の所業。
何をしても結局は神様が決めたこと。

あなたががんばろうと
がんばるまいと

全て最初から神が決めていたことということになります。

しかしこれはそういう「神」がいることが前提。

個人的にはこの宇宙を創った神様が

あなたの
「こうなることは必然だったの♪」
まで細かく関知しているとは思えないのですが・・・

(しかし歴史に名を残すような英雄であれば別、という説もあります。
そちらならばまだわかるような気もしますね)



しかしいい加減

神様なんていないんじゃね?

ということに気付いた人々も大勢いて

では歴史は誰が創るのかと言うと


私たち人間だ、ということになります。

神が、よりよい楽園を創るために
歴史を重ねて、人類が進化しているのではない、としたら

何を根拠に私たちは進んでいるのか?


自分の「理性」に照らして。

そうして人間は
奴隷を解放したり

人の上には人をつくらないことにしたり(ほんとかあ?)

お年寄りを山に捨てないことにしたり
(余談ですが、60歳で捨てられていたそうです・・・びっくりしました・・・汗)

よりよい世界、社会を築いてきたわけです。


・・・

と、思いこんでいるのです。


そうです、ここでもまた
理性というのはあやふやなものです。

国によって、法律が違うことが既にそれを証明しています。

何が正しいのか、という普遍的な定義は
何もないのです。

このまま人口があふれて食糧危機になれば
人間を間引きするしかないかもしれません。

それをしないで人類皆で死ぬのが正しいのか
一部の人でもいいから生き残る方が正しいのか

どちらが正しい、と言える定義はありませんよね。


私たちは進化を続け
確固たるよりよい未来に向かっている

という思想は

まるで根拠がなかったことだったのです!!!

ああびっくりした。

びっくりしませんでしたか?

私はいまさらそんなことを知ってびっくりしました。
学校では習えなかった・・・けど
習ってた人もいるんですよね・・・

義務教育で教えるべきだと思うんですよね・・・
こういうことって。


私たちがよかれと思って描いた未来は
このままいくと
実は破滅に向かっているのかもしれない。


けれどそれは誰にもわからないし
どうしようもないのです。

今の時点では、どうしたら「より良い未来」になるのかという法則は
発見されていないのです。

(しかし歴史哲学者はなにかしらの法則があるのでは、
と思っているようです)



ところで、こんなことを知ったからといって
未来がより良くなるわけではありません。

知らなくてもいいとも言えます。
(だから義務教育では習わないのか・・・)


けれど私は
到底知りえないこの世界の
より真実に近いものを知りたい。

知ったからといって幸せにはなれない。でも
知りたいんです。

知っている人がいるのに
知らないままで死ぬなんて屈辱ですらあります。

あなたはそんなふうに感じませんか?


歴史は進化していると思い込んで
人間の「思い」でどうとでもなると信じて
(人間の「思い」で出来上がった原発は、私たちに何をしてくれているでしょうか?
それは進化だったと言えるのでしょうか?
というような感じ。)
自分がなにかいいことがあると
「これは必然だった」なんていっちゃったりして


知っている人は何も語ってくれないけど、
そういう人をみて 「あーあ」と思ってくすっと笑ったりしているわけですよ。

やはり
真実に近いものを求めて知ることを
やめるなんてできない。

これが知を愛すること、フィロソフィ、つまり哲学です。



いかがでしたでしょうか。
理解者が少ないのは承知の上w
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