ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

ライフボート・ケース

ロゴスの小径へようこそ。

「正義」「正しい倫理」とはなんでしょうか。
当然のことのようにあるように思えるのに
実は人殺しは絶対にいけない、というルールさえありません。

殺さなければ殺される、相手が悪いケースだけではなく
相手が全く罪のない人間であっても、です。

ライフボート・ケースというのをご存知ですか?


救難ボートにもうこれ以上人が乗れない、というような状態のとき
それでも人が無理に乗り込もうとする。
当然です。死んでしまうのですから。

しかし、それ以上人を乗せることで、
今乗っている人たちの命まで危険にさらされるとしたら・・・?

その場合船長は
無理に乗り込もうとした人を殺すことができます。

それがライフボート・ケースです。


そして戦争も。

戦争の罪は難しいですよね。
殺せと命令されたから、殺す。

殺さないとこちらが殺されるかもしれない。

国が負ければ殺されるかもしれない。


どちらも どれがどう正しいのか
まったくわかりません。


こんな重大な命の問題さえ
正しさはあいまいで
普遍的な定義はありません。

とすれば
普段の生活で使われる範囲で

「●●すべき」と言われた時、言う時の
なんと無責任なことか。

そこに気付くと
人に「べき」を言われたときに
無条件に従う必要はなく
自分で決めていいことなんだと気付きます。


「べき」を使いたいときは、自分がその場を治めているときですね。
例えば

室内で帽子をかぶっていいのか悪いのか。

それは自由だという論争が20年前くらいからでしょうか?

ありますが

ファッションだからと
例えばお葬式の場でお辞儀をするとき脱がないでもいいのか?

それはそこの喪主が
その場を治めていますから
そこの喪主が決めることですよね。

けれど
公共の場で、そういうルールもないのに
帽子を脱ぐべき、とは言えません。

そういうルールもないのに
電車で化粧をするな、とか食べるな、とか言う人も不思議です。
不快だというのであれば

電車で女子高生をジロジロみているオヤジも
私は不快に思えます。

しかし
自分の店で化粧するな、食べるな、であれば
当然の権利ですよね。


とはいえ
それが有名人であれば許されたりするのもこの社会だそうです。

電車で、あなたの好きなアーティストが
パンを食べてた!
化粧直ししてた!

なんて見たら

かわいいとか思ったりするのでしょう。

お葬式で、有名人が帽子を脱がなくても
誰も文句はいわない、

のが社会らしいです。


・・・・・
余談ですが、アスカさんが逮捕されたとき、
チャゲさんは帽子を脱いで頭を下げたそうで、
テレビでそれをするのは20年ぶりだとか30年ぶりだとか聞きました。

それもなんというかすごい・・・
それだけで許してしまいたくなっちゃいますよねえw
・・・・・


しかし一般人が帽子を脱いで謝ったところで
犯罪は許してもらえそうにありませんw


「べき」は
そんなふうにあやふやです。

当然、こうすべき、と言っても
有名人なら許される、としたら

それは普遍的な定義ではありませんよねえ。


当然のようにわかっているように思えていたのに
実はわからないことだらけの、この世界。

だから世界は不条理だと言うのですが

その本当の意味さえ知らずに
不条理だ、と言ってきたような自分が恥ずかしいです。


死ぬまでの間に
どれだけ世界のことを理解できるかな・・・。



いかがでしたでしょうか。

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