ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

人は神を要請する

ロゴスの小径へようこそ。

神様はどんなことがあっても無条件に素晴らしい、でしょうか。
信仰を試すために家族を殺し財産を取り上げたり
息子を殺して見せろと言ったり。

罪のない人を災害で殺したり。
それでも素晴らしい創造主が、神。


うーーん・・・。



しかしこう定義したらしっくりきませんか?

最も素晴らしい、創造主と呼べるものこそが「神」だと。

神話に出てくる神様はしょせん人間が思いついた神でしか
ありませんからね。
私たちが想像したものが「神」なんだと言ってしまうから
神 の定義に無理があるのではないでしょうか。


神が存在するとしたら、もっと超越的なもの
としか思えないのですが・・・。


ところで、なぜ人間は「神」というものを想定したんでしょうか。

見たこともないのに。


そもそも「神」とは、自分が神様だから敬え、と
人間に押し付けてきて君臨しているものではありません。


神は、人間が要請したものだそうです。

いてほしい、と。


人間が創りだしたもの、というわけです。

なぜか。


神がいないと、結局人間は道徳を守れないそうです。

映画や漫画にあるような
核戦争後の世紀末の世界で

暴力が世界を支配したりして

道徳も正義もなくて。

そんな世界に今なっていないのは

死後の世界で罰があるかもしれない、
神にバチを当てられるかもしれない、

という人間の恐怖。


だからこそ人は
神の存在を要請したそうです。


死後の世界はないよ
神様はいないよ
バチなんかないよ

と言ってしまえば

人のものを盗み
したい放題した人間の勝ち(まあ、勝ちという定義も難しいですが)と
言えますよね。


とはいえこの世界は

ずっと昔に人が神を要請してしまっているので
もはや神を信じない、と言ってみても

うっすらバチとかあるかも、
死後の世界とかあるかも、

という思いをぬぐい切れないので

そうはならないと思いますが。


それでも平和と言われる日本であっても、震災などがあると
盗みなどが平気で横行するようですから
だんだん「神」の威力も薄れていっているように思えますが。


ところで、数年前まで私には「MY神様」がいましたw

どこかの誰かが創った神様は信じられないけれど、

いつも困ったときに自分を助けてくれる、
導いてくれる、MY神様。

それって自分自身、ってだけなんですけどねw

けれどそれでも自分の中の頼れる存在があると
心が強くなります。


・・・と

これまた数年前まで思っていました。


そのお勧め話を書こうと思ったのに!!!
考えてみたらいつのまにか

MY神様、いなくなっていました。
いま気付きました。

それを創らなくても
真実に目を向ければ、なんというか

たぶん無駄な悩みがなくなるからでしょうか。

無駄な悩みとは

こんな悪い事が起きるのは自分のカルマのせい、だとか
死ねばいいのに、とか考えちゃったからだ、とかw

悩みの他によけいな悩みもくっつけちゃっていた、
その分がなくなったからだと思います。


純粋な「悩み」の部分も、
つきつめて考えてみると
病気や災害以外のことはたいてい
考え方次第、ということも見えてくるからかもしれません。


神を要請しなくなった人には
神様はいらないのかもしれません。

祈る以外にない事も、もちろんあります。
それは死にまつわること。

人間の力ではどうしようもない。だから祈るしかない。

それを神が聞き届けないと知っていても。

悲しい生き物ですね。人間て。




いかがでしたでしょうか。

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