ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

救済後の幸福な世界

ロゴスの小径へようこそ。

罪にあふれた人間のこの世界は、
神によって救済され幸福の世界へと至る。

簡単に言うとキリスト教の歴史の流れはこのようになっています。

罪はリンゴを齧ることから生まれる・・・
リンゴとは智恵。
智恵をつけたことから人間の罪は始まります。

まあ、智恵がないなら「罪」という認識もないですもんね。

そんな世界を神が救ってくれます。


ちなみにこれは
宗教の一つの教義ですので
科学的にどうか、ということにはいっさい関係ありません。
信者は信じるのみで、
信者でない者もそれを非科学的だと笑う権利はありません。


しかしこの教義は
いろいろな思想のベースになってしまっています。

宗教とは無関係のところでさえ。


この世の不平等な格差社会を撤廃し
より平等なより素晴らしい社会にする、というような思想さえ

ベースにあるのはこの救済史、メシアニズムだそうです。


私たちはまず罪の状態にあり、
神による救済で選ばれし者が幸福の世界に至る。

つまりその先に歴史はありません。

キリスト教の思想での歴史は一本道で終わりがあります。
終わりとは、世界破滅、ではなく神の救済で幸福になる
という終焉です。



哲学が盛んだった
ギリシアの思想は循環論です。

四季は巡り
栄えた土地は滅び
しかしまた繁栄を迎える。

私たち日本人の思想も、どこかそういうものではないでしょうか。
(というか、そう言われています)

寒い冬がきてもまた春がめぐる。

冬を乗り越えたら永遠の春が待つ、という思想よりも

なんだかしっくり来るような気がします。

辛いことがあってもまた幸せなこともある、
というような
穏やかな変化。


ところで、後者の思想だと
歴史が進歩していく、という観念が持ちにくいそうです。

つまり、神の祝福のある世界に向かって
人類の歴史は進歩していっている、という思想がないので

人類が進歩する必要がないわけです。


科学の急激な進歩もすべて
人類が進歩する必然にかられたから、なのですが

果たしてこれの、自然破壊が「進歩」だったのかは謎であり

神はいつまでたっても迎えに来てくれないので
信仰は薄れていってしまったわけです。


そのうすれた信仰のうわべだけを救いとって

「気づき」のあった人(選ばれし者)だけが次の次元に行く、とか
言ってたわけですねえ・・・もう2012年すぎちゃいましたが。
価値観が変わり、お金に価値がなくなるとか言ってけど
ひどいインフレにもなってないしなあ。(そういう意味じゃない?!w)

それともそう語っていた人は、
私たちからみると何の変化もないにも関わらず
違う世界にイッチャッテるんでしょうかね・・・



書いててまたまた今気付いた!!

考えたら私が哲学はじめたの、2012年だったジャン!!!

お金には変えられない、イッチャッテル世界にきてるじゃん!!!

やっぱ変革はあったんだ!!!(なんてな)



選ばれし者だけの永遠に幸福な死のない世界。
私には怖く感じますが。





いかがでしたでしょうか。

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