ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「お導き」

ロゴスの小径へようこそ。

いいことがあると「これは引き寄せだ!お導きだ!」なんて
思ったりしますが、すぐにたいした出来事でもなくなったり
しませんか?

「お導きとしか思えない!」なんてよく耳にしますが、
その後の話を聞いたことがないんですよねえ・・・


その場では盛り上がっても
結局 日々の普通な出来事、の一つになっていたり


すごくいい出来事!と思っていたそれが
実はたいしたことなかったり。



してません?


私はありましたよ。そういうこと。
いやむしろそういうことだらけw


まあ、いいことがあったら
そう思う、というのであれば害はないからいいのですが

あまりにもそういうことが多いので

私はもう「お導き」やめましたw


そのかわりに
未来は自分で拓く。

もちろんそれももしかしたら「神の手の上」かもしれない、
と思う人は思うのでしょうけれど。




自分で未来を決めるには
自分で自分の未来をどうするのかを考えるということ。

当たり前ですけどね。


ちなみに予定通り計画してきっちり生きましょう、というのとも
違いますよ。

もちろんそう生きたいならそれでもいいのですが。



ところで自分がどう考えているか、
何を求めているかって
案外わかりにくいものです。

そんなときは
いろいろな友達と話してみるといいです。


そしてその中で

イラっとする話。


そのイラっとする話こそ
あなたの核心に触れる部分です。



私の場合

「しかたない」という話を聞くとイラっとします。


本気の「しかたない」は
命にかかわる場合ですよね。


病気だとか
介護だとか
災害だとか。

それをしないと死んでしまう。

それはもう
「しかたない」

です。

とはいえその度合いが実は低く
それに甘えている場合もありますので
その場合はイラっとしますが。


その自己欺瞞にイラっとするのは


実はその人がどう、というのではなく

自分が許せない部分だからなのです。




具体的には書きませんが
うっすら「しかたない」と思ってしまっていることが

いま私にはあります。

それは楽な道ではあるけれど
幸せ(と思える)に至る道ではない。



お導きだからとか
引き寄せだからとか


そういう言葉を

「いいこと」に使うならいいのですが


「しかたない」の理由に使うと未来を拓けません。



年だから?
子供がいるから?
仕事ができないから?

「しかたない」?



けれど、そこで立ち止まることが幸せな人もいるのでしょうね。
であればそれもそれでいいと思っています。



私は未来をあきらめない。

それは成功を目指す、とも少し違うもので


自分を生きるために、自分を生きる、という感じ。


うーん・・・言葉って難しいですね。



一年も半分を過ぎ
改めて心に誓う次第。







いかがでしたでしょうか。



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