ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分を叱れる人

ロゴスの小径へようこそ。

昨日の夜、子供のスマホ使用についての問題点をテレビでやっていました。
LINEは九時まで、と決めたところで
誰かからメッセージが来れば返事をせずにいられない子供。

その気持ちは子供でなくてもわかりますよね・・・。

そのおかげで朝寝坊したり学力が下がったり
危険な出会いで事件に巻き込まれたり。

それでもやめられません。



けれど番組の最後で
スマホを自主的に一定時間でやめる子供が紹介されていました。

小学校中学年くらいの子でしょうか。

スマホが熱くなったらやめる、と自分で決めているそうです。

眠くなるまでゲームを話さない私とは大違いですw


なぜやめるの?との質問に

「自分でやめないと、誰も叱ってくれないから」


とその子は言いました。


ああ、この子、
人生がうまくいくだろうなあ、とつくづく思いました。

子供でさえそうなんです。
大人になれば更に

誰も叱ってはくれません。


家事や仕事、という免罪符をこなしていれば
なおのこと

自分自身を許してしまいがちです。


いえもちろんいいんですよ
そうして生きていても問題ないんです


けれど

なし得たいことがあるのであれば

自分で自分を制するしかないんですよねえ・・・・


あんな小さな子が

誰も叱ってくれないから自分で決めて実行する、

と言っているのに


誰も言ってくれる人がいない、とか
子供時代の親の教育が、とか

ふざけた冗談を大人が言っちゃいけないですよねえ。


ところで私は現役女子大生ですがw

学友たちも皆
仕事を持っている人ばかりです。

同年代の女性だと、
仕事も子育ても両方している方が多いように思います。
(育児休暇の間に勉強しよう、という感じです。)


リアル学生時代と違い、
自分で学費を払っていることもあって
誰も

勉強しなさい!

とは言ってくれません。


知識を得るのは、いつもここで書くように本当に楽しいですよ、でも

学生である以上、
好きなことを好きに学ぶのとは違います。

初見では意味不明なw教科書に
食らいついていく必要があります。
苦手な科目もとっていかないと
卒業単位は足りません。


好きでやっていること、
趣味みたいなもんでしょ

と思いますよね?

でも
だからこそ


やる必要がないので
覚悟が必要になってきます。


以前の大学でもそうでしたが
卒業できる人と
(正確には卒業がゴールではなく、どれだけ学べたかがゴールとも言えますが)
できない人の差は結局


自分を叱れるかどうか

の差のような気がします。


10歳そこそこの子供が
自分を制することができるのを見て改めて


日々を、流されるように過ごすのは
私にとっては不本意だな、と思い返しました。

(そう生きたい、と思ってそう生きている人はそれでいいのです!もちろん!)


最近、
形而上学について学んでいますが

ちょっと古いですが
フィフス・エレメント
という映画ありましたよね。

あのテーマもアリストテレス形而上学がベースになっているそうです。
正確には、月下の世界の私たちと
5th elementが接点を持てるわけがないのですが。

とかね。

そういうことも今まで知らずに生きていたんだなあ・・・


もちろん知らなくても映画はおもしろく
それでいいんですが

知っている人は知っているわけです。
自分はばかみたいに

わーおもしろいー
愛が地球を救うんだー

とか思っていただけで。

またもや自分が恥ずかしい・・・。



そんなわけで
子供とアリストテレス
自分の情けなさを再認識させられたので

今日から

気持ちを入れ替えていこうと思います。

明日から、じゃないですよ。今日から。ここ大事w


愛犬を失い
介護の疲れもあり

眠るように過ごしていたのです。ここ一カ月。


自分以外に
誰が自分を叱って
誰がなりたい自分にしてくれると言うのでしょう。



一緒に、歩き出しませんか?^^




いかがでしたでしょうか。


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