ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

幸福論

ロゴスの小径へようこそ。

誰もが幸せになりたい。幸せの形は人それぞれ、なんていうごまかしで
人は自分を騙しきれません。

では
どういう人が幸せをつかむのか。


それは
幸せになる、と覚悟して
勇気を持って幸せに向かって行く人だと
「幸福論」で有名なアランは言います。


そもそも人はなぜ不幸かというと、
自分が不幸だと決めているからです。

(ただし、アランは病気や災害、死などの
「本当の不幸」については言及していません)

人にいくら不幸だね、と言われても
自分が幸せだと思えば幸せだし

人にいくら幸せね、と言われても
自分が違うと思えば違いますよね。
なんならムカッときたりもしますw

自分が幸せか不幸かは、
例え他者と比べて、だとしても
とにかく自分自身で決めているわけです。

つまり不幸な人、とは
自分でそれを選んで不幸を手放さない人だそうです。

(繰り返しますが病気や災害・事故、死などの不可抗力は除いて、です)

なぜ手放さないか?


それは「幸せ」に向かって勇気を出さなくてもいからです。
不幸な状態とは何もしなくてもいい状態。
ある意味、楽でもあるのです。

自分は不幸だ、
それは親のせいだ、
生まれのせいだ、
社会のせいだ、
神様のせいだ、

と他者のせいにして
いられるから
自分を責めなくてもいいので楽なんだそうです。


幸せに向かって自力で進む人は
実は
失敗もあれば辛い事もあります。
幸せを目指せば=幸せ、とは言い切れません。

東大に入学すれば幸せ、
けれどそのためには自力で勉強をしなくてはならない。

だったら最初から
親がお金を出してくれない、
塾に通わないと合格できない社会がおかしい、

と言って幸せをあきらめてしまったほうが
楽ですし

がんばったものの不合格、なんていう不幸な目にも
合わないで済みます。


試験に合格するには(=幸せになるには)
不合格(=失敗)も引き受けつつ
勉強をするしかないのです。

神に祈るのはそれをした後で

ただ祈れば信じれば幸せになれる、というのは
「宗教」です。



あなたがもし、今幸せでないと感じているなら

それは「幸せになる覚悟」がないからです。

ちなみに、幸せになるためには
自分以外のもので埋めることはできません。

例えば、例えスターになれなくても
音楽やサッカーや制作が好きで続けていたり

そういう人っていますよね。
それでお金を稼ぐものでもない、けれど

それをしているだけで幸せな気持ちになれる。

まあ、趣味といえば趣味ですが

そんなふうに、自分で幸せを創りだせる人こそ
幸せだそうです。

恋をしたら幸せ、なら相手がいないときは?
お金があれば幸せ、ならお金がないときは?
子供がいたら幸せ、なら子供が独立した後は?


そう考えてみると
私はずいぶん長い間、幸せではなかった気がします。

先述のとおり、

いや、あなたは幸せだよ、とかすぐ言われちゃいますが

ナニイッチャッテンダヨ

って感じですw

私が幸せになれたのはあきらかに
哲学と出会ってから、そしてそれにより
私にとってのアートの意味が変わったからです。

余談ですが哲学で人は幸せになれません。
わかってはいますが

今は哲学を学ぶことで
世の中の全てがぐるっと変わってしまい
それがおもしろくてならないので幸せというだけです。


幸せになりたいなら

勇気をもって幸せに向かっていく。
その覚悟を持つ。


いかがでしたでしょうか。


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