ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

吟味することが大切です。

ロゴスの小径へようこそ。

あなたは赤信号、守ってますか?
誰も人のいない見通しのいい道。車もなく、危険も無い。
昼まで見通しもいい。

そんな状態で、ぼーっと信号が変わるのを待つ
カップルを、先日千葉の田舎の方へ行った時見かけました。

私はその前を悠々と信号無視。

えっ

って感じで見られましたが


だって、だーーーーれもいない道。
直線で、急に車が現れることもない道。


そこでぼーーーっと信号が変わるのを待つなんて!!!


もちろん、自分はルールに従うことを美学としている、という
自分で決めたことなのであれば
それは思考を惜しんでいるわけでもなんでもなく
自分を生きている証なので

信号を無視するかしないのかが問題というわけではないのですが。


子供がみていても容赦なく渡りますね、私。

子供時代母と真夜中に歩いていて、
やはり誰もいない、車のない道で赤信号で立ち止まったとき

母はどんどん行ってしまいました。

信号赤だよ?

というと、

誰もいないのに馬鹿じゃないの

と言われてハッとしましたw



逆に
ただ信号だけをみて、渡る、渡らないを決めるのなら
青信号だから自分は悪くない、けれど
車に突っ込まれてしまうこともあるわけですよね。

(判断する間もない、本人の非のない事故もあります。それはまた別の話とします)



信号の話はもちろん一例です。



人生で一番大事なことは

吟味して生きること。

自分の判断で生きることです。


赤なら止まる、青なら進む、でいいのなら
楽ですよね、考えなくてもいいし。

でも私たちはそんなふうに飼いならされているわけです。

自分で吟味もしないのに
流行りの服を着させられ

自分で吟味もしないのに
流行りの映画をみて


ただまわりに流されて生きているだけ。

先日も書きましたが
それこそ人間の絶望の状態、

ありのままに生きる、とは
吟味しつつ生きるということ。

けれど

吟味もせずに生きているんですよね・・・
理由は 楽 だから。


もちろん私もそうして生きてきましたので

今は常に吟味を心がけています。

自分の言葉に自分への偽りがないか。

(他人に偽るのは犯罪以外でしたら問題ないと思っています。
そもそも他人に偽りいっさいなし!な人は
社会では問題視されてしまっています、つまり

人間は他人には偽りだらけで生きているわけです。)



自分が本当にしたいことはなにか

自分が本当に思うことはなにか。

あ、ちなみに伝えなくてもいいんですよ!
友達の子供がかわいくないからって、
十人並みだね、とか言わなくてもいいんですw

口ではかわいいね、と言っとけばいいんです。
(もちろん言ってもいいんですけどね!w)


ただ、自分はそう思ってないけどね〜という
自分の本心。そこさえわかっていれば。


そこを捻じ曲げて

いけないいけない!子供は皆かわいいんだから
しかも友達の子供なんだから
かわいい、と思っていないなら自分はひどい人間だ。
自分はかわいい、と思っている。


自分に嘘をつくこと


こういう「本当はそんなルールない」のに
「●●するのがいい人、常識」という勝手な枠組みに
自分を自分で閉じ込めてしまうことが危険なわけです。

だんだん吟味しない人間になってしまいますから。


信号をただ表示通りにわたるように
それに合わせて生きてしまう。

車が来ても、青だから渡ってしまう。


ありのままに生きたい、といいつつ

本当の自分を生きていないことになるわけです。




なんだか書きつつ自分に言い聞かせているみたいな感じw

今日のお話は
ソクラテスが唱え
ニーチェも語っている

何も吟味しない幸せ(と思い込んでいる)人たちについてでした。



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