ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

力を抜こう。

ロゴスの小径へようこそ。

今日は自分のことについて本気出して考えてみます。

力を抜いてリラックスして。ストレスを持たずに生きよう。

そう意識してみても
案外できないものです。

今日朝から体調が悪く、頭は痛いし肩こりもひどい。
こんなときはマッサージにいくと悪化することもあるし
そうしょっちゅうマッサージも贅沢だしなあ・・・

それにそもそも動けないので

年に一度あるかないか、朝からずっとベッドで休息。
読書しまくりました。

今日読んだのはデカルト

結局人は自分がどう生きるのかを決めて生きる。
神様の言うとおりに生きているわけではない。

というのを世の中に気付かせた人です。


そんなことを考えつつ
夕方なんとか起き上がれるようになったので
最近お気に入りの、近所にできた中国人の方がやっている
マッサージ、というか指圧へ。

経絡がつまっているとかで
もんのすごい痛い指圧を施され(>_<)

けれど、すごく効いているのがわかる!
長年蓄積の酷いこりなのですぐに治りはしないけれど、
とりあえず経絡を通した、とのことで

あ、そういえば北斗の拳みたいなもんかな。
ツボを押すとイデデデデデデ!!!となるんですがw

終わったあとは頭痛も回復。



で、その中国人の先生に言われたことは・・・

力が入り過ぎている、と。
何か緊張すると(ツボ、かなり痛かったので・・・)
すぐに体に力が入るんだそうです。

力を抜いて、と何度も言われたんですが
抜いているつもりで抜けていないみたいで。

帰り道、いろいろ考えました。


私は確かに力を入れて生きているなあと。

常に身構えているような感じ。
まあ、原因に心当たりはなくもないですが

いまは原因よりも今後です。

もっとリラックスして生きていけないもんだろうか。

おそらく仕事中も力を入れてるんだろうなあ・・・
おかげさまで仕事がものすごく速いので喜んでいただけるのですが
その分すごい勢いで仕事してますもん。

なんでかな、って残業したくないから。
なんでかな、って早く犬の元に帰る必要があったから。

そうだった

そういえば買い物しても
友達と会っても何をしても
マッサージしても

常に私の頭の中には

早く帰らなきゃ

だったんです。


そして犬を失った今私がやっていることと言えば

毎日夜中まで里親募集の保護犬探しです。
家族の了承はなく、大学に復学し、引っ越しの計画もある今は飼えない。
飼えないのに必死に探しているんです。

亡くなってしまったもういない犬たちを。
毎日何時間も。

もうやめよう、と何度も決めたつもりが
気付けば犬を探しています。


探している間は力入ってますしねえ・・・w

睡眠時間はひどく短くなり
お昼休みも犬探し。

ちょっとまずいな、これ、と思っていました。

だって引き取れないという前提がある以上
ここまでの行動は病気ですよ。
一日5時間くらい探してますから。

でもいないんですよ。
だって探しているのは亡くなった子たちなんですから
見つかるわけがないんです。



マッサージの帰り道。

夕焼けの空。

遠い夏祭りの太鼓の音。
ぬるい夏の空気を運ぶ風。

家族連れが散歩する商店街。

私の生まれ育った町。


そうだった

私はもうずいぶん長く
こういうことを忘れていた。

旅行なんかにいけば、夏だなあ、とか
緑がきれい、とかいろいろ思いだしますが

普段の生活で感じる
こういうひとつひとつ。

犬のところに帰らなくては、と
必死に早足で帰る帰り道ばかりで

忘れていたんです。


8年ほど前でしょうか。
耳を患いました。

そのときも、愛犬が患って介護が始まったときで

原因は力のいれすぎです。(=ストレス、といってもいいのですが)



犬の幸せのために

ずっと生きてきたし

それでいいと思ってきました。

幸せについていろいろ思考してきたけれど
成功したいとかお金持ちになりたいとか

それ以前に
犬を幸せにしたいというのが私の勝手に決めた使命だったように
思えます。

私、

自分が幸せになる努力をしてきたんだろうか???


ちなみに犬のために、というのは
私のエゴでしかありません。
だから私の言う「犬」の部分に


夫、とか
子供、とか
家族、とか

なにか他のものをあてはめて考えてみてくださいね。

それは

ふんぞり返った家族が、幸せにしてくれ、
自分を一番にしろ、

と実際言ってきたわけでもなく

勝手に自分が決めただけのこと。


基本人は自分を卑下して
自分は幸せになってはいけない、というような気持ちが
どこかにあるそうです。

だって、人間の心の中の一番汚い部分を見れるのは
自分自身だけですから。
他人は、どんなに嫌な奴、と思っても
心の底まではみれないですしね。


だからその代わりに何かを幸せにしよう、とする。
それで自分を幸せにする、という義務を
(義務なんだそうです。だって自分が幸せになると、
まわりも幸せになりますから。)
忘れて努力をしなくなっている状態です。

犬のため、といいつつ
私は犬を利用していたようなものです。
これを依存と言います。



先日の「幸福論」でも書きましたが

幸せになるには、その覚悟を決めて
勇気を出すこと。


今の私は

死んだ犬を探すのをやめて
少し力を抜いて生きていくことを覚えること。

犬のためにできることは引き取ることだけではないですしね。

(ちなみに犬と暮らした方がリラックス、になる人もいますから
ひとそれぞれですが)



肩と首のこりは本当に酷くて、
どこにいっても酷い、と驚かれます。

そのくせマッサージするとすぐにほぐれるそうです。

けれどまたすぐにこってしまうんです。


つまり、力を自分でいれてしまっているから。


肩こり解消のためにヨガにいっても何をしても
結局力が入ってるなあ・・・思いだしてみると。



力を抜く、というのは
意識的にしないとできないものです。

体がそれに慣れるまでは

力を抜こう、と意識することが必要です。

体が力を入れてしまうのは
心が力を入れてしまっているから。

心のリラックス、ってしているつもりで
できているのかもよくわかない、けど

体のリラックスなら意識することで
できますもんね。


ちなみに力を抜く=だらだらする、とかそういう意味じゃないですよw


最近ちょっと凝りが酷いな、とか
疲れてるな、という方は

ぜひ意識して 「力を抜く」を
一緒に実践してみませんか?




いかがでしたでしょうか。


更新の励みにしております。
よかったら応援クリック、よろしくお願いいたしますm(__)m


人気ブログランキングへ