ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「共感」

ロゴスの小径へようこそ。

広島の土砂災害による被害は本当に酷いですね・・・
しかしこの土日も全国からボランティアの方が大勢あつまったとか。

3.11から
ボランティア という意識と、
またそれを受け入れる体制作りのノウハウというのが広がって
早い時期でのボランティア活動が可能になっているんだそうです。

そういう話を聞くと
なんだかうれしい気持ちになるし

自分もできる限りのことをしようと
思えたりしますよね。

それは

「共感」という感情から。


自分が感じる事実と他人のそれとは違うので
解り得ないという事実は変わらないのですが

もし自分だったら

と考える力が私たちにはありますよね。


もし自分だったら
こうしてほしい

もし自分だったら
助けてほしい。


もちろん見返りを求めての行動ではなくても

人間は自分のこと以外はわかり得ないので

やはり
自分の感情のために
(他人のため、と言いつつも)
そのように行動するわけですが

それだとしても、
なんて素敵な行動なんだろう、と
思えてしまいます。




キリスト教圏の人種がボランティアや寄付を
自然に行うのはあい
教義がベースにあります。
神様がみてるしね。


けれど
そんな教義もない私たちは

ボランティアや寄付をしたからといって
天国が近くなる、とか
神様が認めてくれる、なんて

たいていは
微塵も思っていないわけです。


だからそういう思想や行動は
近年まで発達しなかったわけですが

しかし
ご近所の助け合い、みたいなものが
昔の日本にはあったのは確かで

そのベースにはやはり宗教はなく

(人を助ければ天国へいける、というような大々的な思想は
仏教にもありませんよね)


そう思うとますます素敵な感情だな、と
思えます。



カントによると
見返りを求めて義務を果たすのは
本来の義務とは言えないそうです。


誰かが褒めてくれるとか
かわりにお金をもらえるとか
名誉をもらえるとか

そういうものと引き換えにするのは

それらがなければ行為しないということに
なってしまいます。

それは

神様がみていてくれるから

だから行動する、
も同じく

神様がみていないなら行為しないということになりますね。




とはいえ。


そんなふうに厳密に
本当の義務とは何か、とかつきつめたところで


宗教にさまざまな矛盾があるのはしょせん人間が考えたからに過ぎないように

人間のすることなので


そこを追求してもしかたないんですけどね



ともあれ

何の見返りも求めず
強いて言えば自分で自分を誇りにできるという
ただ一点があるかないかで

行動できる「共感」の作用に


なんだか、人間の未来の可能性を感じる昨今です。



いかがでしたでしょうか。


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