ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「美しい生き方」とは

ロゴスの小径へようこそ。

生き方の美しい人こそを、幸福な人と呼ぶそうです。
では生き方の美しい人とは


アリストテレスによると

幸福な人 とは
徳(自分の能力を活かす)を開花させるような
生き方をしている人。

その生き方で結果幸せをつかむというのではなく
生き方の活動自体が幸せに直結する人。


しかしそういう人であっても
不幸は襲ってきます。

人生に起こる不運は

真面目に生きているとか
性格がいいとか
やさしい人だとか

そういういっさいに関わりなく
襲ってくるものです。


しかし徳を磨きつつ生きている人は

そういうことで
自暴自棄になったり愚かな行動をしたりせず

といって心を殺してなにもかも無感動になるわけでもなく

動揺を極力抑え運命を乗り越えていくので
また早く幸福な状態に戻れるというのです。

逆に動揺しやすい人は
不幸なことが起こると

正しい行動がとれずに
いつまでも不幸な状態を自ら長引かせてしまうそうです。


徳(自分の能力)を磨き善く生きる人は、その経験から
次にまた多少の不幸が起こっても

普通の人ほど心が不幸な状態になることはありません。


けれど無感動なのではなく
いいことも悪い事も知っている、知っていながら

自分のベストを尽くして生きている。


これこそを

「美しい生き方」と

呼ぶのだそうですが、本当にそう思いませんか???


これを読んだ時すぐに頭に浮かんだのは

3.11で被災された漁師さんたちが
テレビでインタビューを受けていたシーンです。


あんな目にあって、恐ろしい海なはずなのに

「それでも海に戻りたい」


と皆さん口々に言われている・・・のは


海での漁こそが、彼らの「徳」なんだなあ、と。


その技術は彼らに与えられた特別な能力であり
その腕は常に磨かれることで
更に徳は磨かれていく。

そしてその行動をすること自体が
彼らの幸福でもあり
単に生活のためだけではない。

もちろん生活のため、ですが
しかし、だったらあんな体験をされなら、
海に戻らない選択もあるはずです。

インタビューでは、もちろんそういう回答を選んでいるのでしょうけれど

口々に皆さん、海に戻りたい、とおっしゃるのが

不思議だったのですが


これこそ徳なんだ、と思うと
理解できる気がしませんか。


そして
たった数年で
ものすごい努力をされて
(それには自分を節制する能力なども必要です。
つまり徳を磨くには自分をコントロールする能力が必要なんです)

また漁を再開して
また徳(自分の能力)を磨く日々を始める。



これを幸福だとか不幸だとか
他人には誰にも決められないけれど

「美しい生き方」である
という言葉は

なんとしっくりくることか。



これを自分に置き換えてみると

美しい生き方が何かが
少しわかるような気がしませんか?


震災の例では
被害が大きすぎて簡単には言えませんが
アリストテレスも不幸の大きさには言及しています)


通常程度の不幸の範囲で生きているほとんどの人には

美しい生き方こそ、幸福な生き方である


と言えるそうです。


確かに
快楽におぼれて生きる生き方もあり

「自分にここちよく生きる」がテーマになっている昨今

人はいかにして快楽を得られるか、つまり
いかに楽に幸せな気持ちになれるか、をテーマに
生きているそうですが


しかしだからこそ
真の幸福が得られないので

自殺者が増えたり
いじめが増えたり

してしまうそうです。



最近の成功哲学の本などのベースは
ほとんどがアリストテレスから来ています。

紀元前から人間って
変わらないんですねえ・・・




いかがでしたでしょうか。



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