ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

楽天的で幸運な人々

ロゴスの小径へようこそ。

自分は運がいい方で
なぜかいつも結局よい結果になっている。

楽天的に考えて
楽しく生きれば楽しい事だけが引き寄せられて
幸運がやってくる。

昨今のスピリチュアル思想の典型です。

自分もそういう時期がありました、いえ
そうなろうと努力した時期がありました。


でもいくら口で
自分は運がいい
って唱えてみても

そう変化はないんですよねえ。
そう思いこもうと必死にはなりますがw


さてそういう

私ってラッキーなの♪
心配しなくてもいつも幸運なの♪

という人は、
現実的にはどう理論されているか。


そういう人は
たまたま運がよかっただけのことを
まるで自分の力のようにとらえてしまうそうです。


例えば

たまたま試験に合格した=まわりの人と自分は同じレベル
たまたま宝くじに当たった=自分は一般人とは違う

というような感じ。

たまたま運がよかった、と認識できているならいいのですが

現代の思想では、そうなっていないので
そういうラッキーなことを数え上げてつなぎあわせて

無理やり自分は運がいい

に仕向けているわけなので

自分が運がよかっただけのことを、自分の実力と
勘違いしてしまうのだそうです。

つまり

自分は災害にあわない

とか

自分は病気にならない

とか

なんの根拠もなく楽天的に思いこんでいる状態です。



しかしそれは危険をはらみます。



災害にあわないように逃げよう


と、自分の幸運を信じずに
実際に行動して助かった人

自分は病気になるかもしれないから
健康診断をして実際に助かった人


そういう人たちと

たまたま運がよかった、しかも今回だけ

の人の

どちらにリスクが多いかは
言わずもがなですよね。


きちんとした宗教に帰依している人であれば
仮に、自分だけは神様が助けてくれる、というのが「思いこみ」であったとしても
救われます。

なぜなら、結果どんな道に至っても
「神様の思し召し」だからです。

人を殺しても
自分が殺されても
何をしても神さまのおみちびき もしくは試練なので

人生を呪ったり悲観したりしない【はず】です。

(とてもそうみえない人が多いですが)


けれど
確固たる信心ももたずに

自分は運がいい、と思っているだけの一般の人、
楽天的で幸運だ と思い込んでいる人

打たれ弱いそうです。

そりゃそうですよね、
運がいいと信じていたのに
それと反対のことが起きたら

物理的にも心情的にも覚悟も準備もないわけで

といってそういうときに救いになる
本気の信心もなく


しかしまわりには必死になって

ううん、これはこの先いいことにつながっているの
自分は運がいいんだから


と訴える奇妙さ。

自分も必死にそれにトライしていた時代があっただけに
そういうのを聞くとよけいにもの悲しいですw

それにしても
紀元前からもうそういう種類の人間はいたんですねえ・・・。


ただし、その存在は他人の害になるわけではないので
自分を不運だと思い込み
まわりに泣きついて迷惑をかけるような人よりはマシ、ということに
なっているようですw

哲学、というより

徹底した人間観察みたいじゃないですか?


しかしこれが「哲学」なんです。

人間とはなにか?を追求するのが結局のところ哲学なわけです。

アリストテレスの時代から人は何も変わっていませんね。
(実際、科学的にも知能がアップしたわけではないそうです)


その他、いろんなパターンの人間について分析されていて

しかも現代のほとんどの、それ系の本の大元は
いまだにアリストテレスなんです。

読みやすい(しかしとても深いのでじっくりと)のでおすすめです。

アリストテレス
『ニコマコス倫理学


個人的には にこりん♪ と呼んでますw

ニコマコス倫理学 (西洋古典叢書)

ニコマコス倫理学 (西洋古典叢書)




いかがでしたでしょうか。

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