ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「正しい」ことってなんだろう

ロゴスの小径へようこそ。

「正しいこと」とは何か。わかっているようでわかっていません。
この世の「真理」とか「正しさ」とか

いったい何を持ってそう決められているのか。


私は今日それを知りました。



それは
人間の中の範疇で決められているのだそうです。

つまり


正しさ

とは


人間全員が考える、ある意味平均的なところを取ったもの


ということになります。


「絶対的な正しさ」


なんていうものは 神のみぞ知ること。
(そんなものなど無いのかもしれません)


私たちが
絶対的な正しさ、真理、というときは

私たち人間の中で決めた正しさに過ぎません。

まあ、言われてみれば当たり前なんですが。




例えば宇宙人がいたとして
彼らにとっての 正しさ 真理 は

地球人のそれとはまったく違うかもしれませんよね。

そう考えると
わかるような気がしませんか。


結局私たちの考える正しさ、とか真理、とかは

法律のように
私たち自身で決めただけのもの。

だからこそ
時代や場所によっても違ってくるのですが。



それが永遠に変わらないとは言い切れませんが、
例えば 火が燃える という現象は

戦争をしていがみ合っている敵同士にも
同じように起こりますよね。

引力がある限り
物が上から下に落ちたり

数もそうです。
どの国にいってもどの時代にいっても
1つは1つですし2つは2つですよね。


そんな風に「変わらない」数字や、
(永遠ではないかもしれないけれどとりあえず変わらない)自然現象のようなものを
絶対的な真理とすると

人間が決めただけの
「変わってしまうもの」は
真理とは違うものだと気付きます。


例えば

神様には何月何日にこんなものをささげる、とか
こんなことをしてはいけない、とか

それ、神様が決めたことでしょうか?

ではなく

人間が勝手に決めただけですよね。


世界に神様がたくさんいて
教義も違って
けなしあったり
殺しあったりするのも

人間と言う範囲のなかで 決めたことだからですね。


一部の、自分は神と会話できるというキトクな人も

神の言葉という人間の言葉の範囲でしか
ものを考えられません。

これも太古の昔からわかっていたこと。

昔だから神様が闊歩していたわけではないんですね、
当たり前だけど・・・


しかし半面

人間の中で決められたことだから虚しい、と思ってみたところで
私たちは人間と言う範囲を超えられません。

仮に神が存在するとして

宇宙を創り時間や空間を操るような存在の思考を
私たちが理解できるはずがないのです。


だから結局
人間は人間の知り得る世界の中で

何が正しいとか幸せだとかを決めて
生きていくしかない。


でもそれは

人を殺さないとか
やっと近年芽生えた、動物愛護の思想だとか
環境を大事にしようとか

人間たち皆がそれを正しいと思えば

正しい事になり得るということです。

それだけが人類の一縷の望みなわけですが



けれどとんでもないことを正義にしてしまう
可能性もあるんですよね・・・

「国境は正しい」と決めたりね。
いつだれが決めたんでしょうね。


戦争は正しいのか

しかし黙って殺されるのが正しいのか


世の中は難しい問題にあふれています。


でもそんなことは考えず
政治家の悪口を言って自分は何もせずに過ごすのも
別に悪い事ではありません。
そういう人間の方が扱いやすいですから。

そういう扱いやすい人間を
教育で作っているんですけどね・・・
学校とはだから刑務所に非常に似ているシステムだそうですが。


ちなみに
こんなことを学んだところで
自分で政治に参加するなり、デモに参加するなり

何かしら行動を起こさないのであれば

全く意味のない事だとアリストテレスも言っています。



しかしそれでも
世界を少しでも知っているのか知らずに生きているのかは

今まで知らずに生きてきた私には

世界を変える行動はできなくても
自分を大きく変えることができました。



自分を生きるために生きる。
それには知る必要がある。世界の成り立ちを。






いかがでしたでしょうか。

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