ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

have been friends

ロゴスの小径へようこそ。

いくら年をとっても、始められることはいくらでもある
というのが私のポリシーです。

女子大生にだってなれるし(笑)

そういえば、ずいぶんなお年から陸上や登山を始めた方、なんかも
テレビで取り上げられたりしていますよね。

もちろん年齢制限のあるもの、ってたくさんあるので
できないこともありますが


友達となんとなく気が合わなくなっても

新しい出会いは常にあるし
新しい友達ができるかも自分次第だし



さて
昨日
数十年ぶり(!)に小学校の同窓会がありました。

はじめは初対面も同然なんですがw


あっという間に「時間」は戻り

まるで当時の教室の休み時間みたいw



ああそうか

新しい友達も
新しいことも

なんだってできる

けど

「小学校の同級生」「幼馴染」


もう作ることが絶対にできない

ということ。


ここで再開できたことは、
自分の人生の楽しみをどんなにアップしてくれることか。

(まあ今後どうするかは自分次第なので
同窓会参加=人生変わる!ではありませんが。
何事にも有る程度の努力は必要ですんで)


幼馴染、というのは

大人になって出会った友達とは
本当になにか 違う意味を持っているなあと
つくづく思います。

親が知りあっているのもあるかもしれませんが



うーん、なんだろう
何が違うんだろう


きっと


仕事も学歴も自分の稼ぎも
結婚の有無も恋人の有無さえも

なーーーんにもない時代に
出会ってるから


ものすごく無防備な自分になれる、というか。


子供時代に一気に戻れると言うか。


これ、もう二度と手に入らないことなんだよね・・・


言葉でどう言ってみても
どんなに努力してみても

自分が自分の親から生まれた事実は変わらないみたいに


もう二度と創りなおすことはできない
大事な部分。
(仮にそれがどんなものであったとしても)


先日受けた大学の日本史の講義で先生が


私は歴史を学んでいますが

自分自身にも歴史があったんだ、と最近気付きました

というお話をしてくださいましたが



私にも歴史があるわけです。って当たり前ですけどね、でも


常に未来を見がちなので
つい昔を忘れてしまう、いえ

忘れてもいいんですが


その「昔」が、昨日のようにふいに「今」とリンクしたとき


「昔」が「未来」のために必要不可欠なパーツに変わるわけです。

実は「時間」が一直線に、予定調和で
数学で計算できるように進んでいくわけではない、
現代でも説明のつかないものである

というのを今学んでいるのですが

まさにこのことは、その一端というか一例なんじゃないのかな

と感じたりして。



幼馴染っていいよね、を理論してみましたw



そういえば
中学の同窓生も数年前から定期的に集まるようになって

地元に住んでいる人が多いからなせる技とは言えますが


自分の人生の残りの時間を
「あの頃」の友達、つまり「あの頃」の自分と過ごしていく。


自分の子供にそれを投影する人は多いそうですが、
子供と自分は違う人格だと気付いている人には
それはできないしね。


自分と友達とあの頃の自分とあの頃のみんな。

そういう全てをまるっと過ごすようで


年取るのも悪くないな、って負け惜しみのように聞こえてたけど

うっすらその感じがわかるような一夜でした。





いかがでしたでしょうか。




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