ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「自然との共存」

ロゴスの小径へようこそ。


自然との共存。近年もっともテーマにされていることのひとつではないでしょうか。
自然を大切に。限りある資源を大切に。


ところで「自然」は「人間の資源」だということを
私たちは当然のように聞き逃していますが
それはキリスト教の思想です。

神が創りたもうた人間。その人間が神の国に至るまでの「材料」である
自然と動物。

(ちなみにイエスがそんなこと言ったわけではないですよ・・・
信仰と宗教の違いはキルケゴールをぜひ)


「自然を大切に」

というエコロジー思想も、発端は宗教ですが


自然を大切にという一見耳触りのよいこのフレーズは
やはり人間の傲慢さを表しているように聞こえませんか?

大切にする者、される者
庇護する者、される者

立場はいつも前者が上です。



先日御岳山が噴火して
悲惨な事故につながりましたが

ニュースを知ってまず思ったのが、
予測できなかったの?!ということではないでしょうか。

テレビでもやはり、そのことをあげていましたが

できないからこそのこの結果ですよね。


先日日本古代史で環境についての講義で
先生がおっしゃいました。


「人間は自然と共存などできない」と。


「自然には、人間を生かしておこうと言うという配慮はない」と。



衝撃的でした。


そしてまさにその通りだと思いました。


自然との共存、と言った時
私たちはなんと人間目線の傲慢な思いで
それを語っていたことか!


自然は人間の資源などではなく
人間様に大切にされたいなどとも考えず
人間と共存してやろうという考えなどない。


このままでいけば必ず人類は滅び

しかし「自然」は形を変えても
また再生するでしょう。



「自然」(地球上だけという意味ではなく)とは何か と
言った時

つきつめて考えると

結局 操作できない、
そしてその意図を知り得ない

・・・例えば、
自然を大切にする人なら自然災害にあわない、というようなこともない、
つまり、どういうルールがあるのかないのかも
私たちには知り得ない・・・



という限り、

「神」とも言えるわけです。


とすれば


神と共存しよう、とか神を大切にしよう、とか
私たちは言っていたわけですね・・・


じゃあどうすればいいの、ということになりますが

結局どうしようもないですねw

神の意図は人間にはわかり得ませんので


先生のその言葉は
ここ最近で一番衝撃的でした。

自分もまた、そういうフレーズに、
意味もわからずに乗っかっていた一人だったからです。
そういうのを剥いで剥いで、というここ数年だったのですが

まだまだまだまだ私は そういうものに汚染されているなあと
再認識しました。



それを知っても結局どうしようもないなら知る意味もない、とも
言えるかもしれませんが

知ること、そして考えること


これだけが、人間に与えられた自由です。

それを放棄するかどうか、もまた
人間の自由な選択に依りますが。



いかがでしたでしょうか。

今日は体調不良で仕事を休み、思考の一日でした。
秋の晴天のこんな日、そんな一日も悪くないかな・・・




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