ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

節目。

ロゴスの小径へようこそ。

もうすぐ年が明けますね。実際はいつもと同じように日にちが変わるだけなのに
なんだか「明日」という「来年」がとても遠く感じますね。

明日の朝になれば初日の出を見たりして
そこにありがたい感じの雲を発見して「元旦の特別なメッセージ」に喜んだりするわけですがw

考えたら少し前まで旧暦を使っていたわけで
そのまた昔は暦なんかなかったわけで

「1月1日」という日も以前とは違うことを考えると
明日という日が特別な日として存在するわけではなくて

単に私たちが決めた節目に過ぎないことに気付きます。


にもかかわらずやはり
明日からは違う日が待っているように感じる、というか
そうとしか思えない。

人間には節目が必要なんですね。

もし一年ごとの節目がなかったら
と考えると

なんだか一生がメリハリなく
死ぬまでをただただひたすら進むような
そんなイメージがしてしまいませんか。

節目は元旦だけではなく
いろんな場面でありますが

結局どれもがただ生まれて死ぬだけの一生に
メリハリをつけるためのようなものに思えたりします。

嫌なことがあっても
辛いことがあっても
そこでリセットできるような。

きっとそういうチャンスがないと

そういうものをずっと引きずっていかなくてはいけなくなるので辛いような気がします。


松を飾って初日の出を見て神社に初詣でにいって

どれもが宗教的な意味を失い
単なるイベントのようになっても

その
「切り替えの日」という意識を盛り上げるために
今なお受け継がれているのではないでしょうか。


ともあれ年末年始は
意識を切り替えるには
貴重な日ではないでしょうか。


普段、切り替えようと思っても
日々に流されてしまうことは多いので


などと

今日は考えてしまいましたw

節目

って、人間にとって
案外大事な、いや生きるのに必要不可欠なものなんじゃないか、と。

正月の観念がいつから生まれたかはさまざまな説がありますが

正月、でなくても
例えば古くは祭りの日や
春分秋分など

人は節目を必要としているんですね。



何年か前に
とても辛い年末を過ごしたことがありました。

その時も私は
年越しをきっかけに自分を立て直したことを
思い出しました。

新年に桜を買って
自分を切り替えるのは

それから数年、自分の儀式のようなものに
なっていました。



今年は個人的には
いろんな意味で切り替えの年でした。

大事にしていた犬たちの介護による生活の変化と
その犬たちが死んでしまったことへの精神的なショック。

その分
学びに力を入れることができたり

小学校の級友たちとの再会も
とても大きな出来事でした。
なにか、失ったキラキラしたものをまた掴んだような気持ち。



来年は何をしたいかというと

学びを深めることと
制作を再開すること(これが一番難しそうですw)

そしてもうひとつ

あきらめていたことをまた始めるつもりです。




こんなような年末年始を
あと何十回か続けたら
それで人生は終わり。


と、考えている間に年が明けたようです。

また善き一年を^^


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