ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

選択すること

ロゴスの小径へようこそ。

昔は支配者が市民や奴隷をある意味「支配」していました。

日本でもほんの少し前までは、国家(を操る人)の命令を聞いてきたのです。
現代日本では「自由」が確保され
以前ではいけないと言われていたこともできるようになりました。

しかし
それは操作された自由。

例えば
最近、ベンチに仕切りがついているのを見かけたことがありませんか?
一人用になるように。

あれは、ベンチで浮浪者などが寝るのを防ぐためだそうです。

「このベンチに寝てはいけない」
と書いても効果はありませんし

なぜいけないのか、というと言い切れない部分もありますよね。

けれど
一人用に仕切ってあることで、何も注意されなくても
ベンチに寝ることはできません。

そんな風に、私たちはいろんなところで
それと知らずに操作されています。

新しいスマホ、なんていい例です。

最新のものがでると、ひとつ前の機種は一気に値下がりします。
しかしそもそも同じその機種の性能が下がったわけではありません。
にも関わらず値段が下がる。

もちろんこれは新機種の方に需要がある、つまり
高くても新しい物を買う人が(高くしても収益が見込めるほど)多いということになります。

これは新機種を持つ方がいい、という宣伝に
たくさんの人が操作されている結果です。

実際は古い機種のままでも問題なく生きている(笑)人も
たくさんいますから
新機種にしなくても生きてはいけるはずです。

誰かの決めた
「今年のラッキーカラー」。
誰かの決めた
「流行の服」
誰かの決めた
「流行の妖怪」w

ちなみに、それ自体を批判するものではありません。
それで経済は成り立っているのですし。

そうではなくて
それを「選択」することが

何も知らずに誰かに支配されないための
重要なポイントと言えるのではないでしょうか。


人生とは選択することです。
そしてひとつを選択すると他のものは選べない

ハイデガーは言います。

もちろん瑣末なことであれば複数選べたり
やり直しも効きますが。

流されるように生きてきたように思えても

私たちは常に選択をして今の自分に至っています。


けれど、
「もの」(の影の誰か)に支配されて、
選択させられて生きている、という選択を
知らずにしている可能性もあります。

一人掛け用に仕切られたベンチのように
知らずに言うことを聞かされてしまう私たち。

そういえば某朝ドラで、
ウイスキーの話が取り上げられてから
ウイスキーの売り上げが上がったとか。

業界の大人の事情の匂いがしたりしませんか。

もちろんそれ自体が悪いこととは思いません。

けれど、無邪気にそのロゴのついた商品を手にする人を見ると

「本当に選択したのか」ということについて
つい考えてしまいます。

単にウイスキーの話であればいいのですが

選択を手放した最悪の結果は

意気揚々と戦地に赴くような思考を育てられることに
なっていたりするわけで。


とはいえそれを声高に叫ぶほどの意義も感じないのですが


せめて誰かに支配されている可能性と

それは本当に自分で選んだ道なのかを
意識していたいと思う元旦の昨夜ですw


いかがでしたでしょうか。
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