ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「必死」な人々

ロゴスの小径へようこそ。

お正月の青い空をぼーっと見上げつつ犬と歩く。
富士山や雲をみたりして。幸せ、なんだろうなと思えるひと時。

ふと気付いたのですが
そういえば以前は、空を見るたびに龍が見えないかと
メッセージのこめられたような形の雲が見えないかと
必死に空を見ていたなあ・・・。
特にお正月はw

そしてそれがないとがっくりしたりね。

なんとなくそれっぽい雲を見て、龍だ!と
思いこもうとしたりしてね。

選ばれてるとか選ばれてないとか思ったりね。

そんなこと、してませんでしたかあーーー?( ̄ー ̄)ニヤリッ


日々の「いいこと」だけを「必死に」寄せ集めて
自分は幸せだと「必死に」思うようにしたりして。

当時はピンときませんでしたが今から思い返すと、
疲れるよなあ・・・それ。


人間には、もちろんスピリチュアリティ―なものは欠かせません。
なぜ生まれたかもわからないんですから。
死後どこへ行くのかも。

(知っている、というふざけた考えの方はロゴスの小径にはいませんよねw
カルトでない宗教に帰依していて、教義として知っている、というのはもちろん別ですが)

マスコミの作ったスピリチュアルでは幸せになれません。

いえ、言い方が悪いな

幸せだ、と「本気で」思えている人はそれでいいのです。

例えば宗教を信じている人は
神様なんかいないよと言われても何と言われても
本気で信じているのでそれでいいのです。

他人がとやかく言えるものではありません。


ただし
うっすら疑いつつの信仰は、むしろ苦しむことになるということは
多くの書物を読んでもわかりますね。

(とはいえ、疑い(躓き)を経ないと真の信仰とは言えないそうですが・・・
そのお話はいずれ)


だから「スピ」で本気で心から一点の曇りもなく幸せ!な人はそれでいいんだと思います。
そういう人こそある意味「選ばれた人」なんでしょうねえ・・・
そういう人に出会ってみたくもあります。
少なくとも今のところ一人も出会っていませんが。
必死に幸せ!を訴える人はたくさん見えちゃいますがw

その必死感はひしひしと伝わって来ますからね・・・


「幸せ」でないと、幸せでない

そう考えてしまうから必死になっちゃうんですねきっと。


幸せ幸せ
楽しい楽しい

そう必死に訴える裏側に
何を抱え込んでいるのか・・・・しかし。

やはり、それを批判する必要もないですけどねw

痛みが見えてしまうというだけで。


本気のスピリチュアリティ、例えば本気の宗教などを信仰する人は
いろんなものを抱えて(抱えてしまうのは思考するから)

そのうえで、人生を肯定しているのです。

だから揺らがない。いえ、揺らぎたくても揺らげない。


スピで幸せな方は
そのまま幸せに生きて行ってほしいです。
皮肉とかではなく心からそう思っています。
だって楽しそうだもの。
不幸の垂れ流しをされるよりは気持ちいいです、他人としてはw


けれどスピで
幸せになれなかった人は

お正月の雲に龍を探すのはやめちゃいましょうw

そのままの
きれいな空を見るだけで

心が穏やかになる、ただそれだけのことが
「幸せ」というものなのかもしれない、と思えますから。


やっと気付いたお正月でした。


いかがでしたでしょうか。

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