ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「人間」の条件

ロゴスの小径へようこそ。

今日は映画から哲学。ターミネーター4を観ました。映画を観るのは何年かぶり。
しかし最近、「人間」と「機械」について考えることが多くあり。

人間が神の被造物であった時代は過ぎ
いまや人間が「神のように」創造物を産み出します。

救世主きょうだい というのを御存じですか?

重篤な病気の子供に、臓器や血液を提唱するために
もうひとり子供を産む、というものです。
きょうだいであれば拒否反応も少ないですし

そもそもその子供(の臓器などのタイプ)にあった子供だけを
出産するというものです。

しかし生まれてきた子供は人間です。

その救世主の妹が、親を起訴するという事件が
映画化されたこともありましたが

日本ではその後あまり議論されていないように思います。

しかし確実に 救世主きょうだい の存在は増えています。


ちなみにこれを良いとか悪いとか私には
考えても考えても判断できません。

ただ、そういう存在が既に世の中にはいるのだと
子供時代からきょうだいに臓器や血液を提供するように
育てられている人間が存在するのだと

そんなことも知らずにいた自分に驚くばかりです。


さて機械と人間。


ターミネーター4は、
もっと昔の映画、ブレードランナー的な要素を取り入れたんですね・・とはいえ

ブレードランナーのような哲学的な示唆は浅かったですが。


自分を人間だと確信している人間は
・・・ブレードランナー でのレプリカント・・・は

人間ではないのでしょうか?


例えば酷い殺人鬼の人間。
子供を殺すような。

それを救ったのが自分を人間と信じる、機械であった場合は?


体が生身であれば人間というのでしょうか?


では心が大事、ですか?

機械であっても 「人間のような」やさしさがあればいいということでしょうか?


としたら犯罪を好むような人間は人間ではないのでしょうか?



難しいテーマです。


人工知能が発達する近年、

もちろん開発の裏には戦争があって(その裏には政治や経済)

戦争にもそれが使われることになると言われています。

つまり具体的には

人間の乗らない爆撃機が、戦地を襲い爆撃をするというようなものです。


実はこれは既に行われているそうです。けれどそれは
遠隔操作という形で。つまり判断しているのは人間です。

そうではなくて
ここで撃つのか、この人間を殺すのか、という判断も
人工知能に任せると言うものです。


これが暴走したら・・・まさに映画のスカイネット、ということに
なりますよね・・・。

これを食い止めるには人間がセーブするしかないのですが

セーブはできないだろうと言われています。

そんな先の不確定な未来よりも
今の富が重要ですから。



本気で考えないと世界はどんどんおかしなことになっていくような、

けれどもうそれでいいような、

考えれば考えるほど
なんとも言えない気持ちになりますね・・・


人間である条件とはなんなのでしょうね?



映画のネタばれしますので、以下お気をつけください。





最後に映画では、
人間と機械の違いは

心の強さ

だと言います。



最後の感動のセリフを期待していたのですが、

ううーん・・・・

さすがアメリカ映画、というか


まだそれか、という感じ・・・



心が強いのがすばらしいこと
心が強いのが人間



・・・そうでしょうか??


では

人間より心が強い機械であればどうでしょう?


そもそも心が強いという定義はなんなのでしょう???




ただ一つだけ言えるのは

ハイデガーも言うように
人間とは


「死ぬことができる」存在です。


機械は死ねませんから。



医学はより長寿を目指しますが
いつの日か死なない人間が創れてしまうのでしょうか。

としたらそれは 人間 なのでしょうか?


そう考えて行くと

なんだかもう 人間とかそうでないとか
どうでもいいような気持ちになってきますね。良い意味ではなく。




他にも映画では
人間が家畜のように扱われているシーンがあって目を引きました。
人間は他の命をあんなふうに扱うのですから

いつか機械にそう扱われる日が来てしまう可能性もあるということですね。

これは神様のバチ、とかいう意味ではなく

機械は人間が創るものだからです。
機械は人間を反映しているものだからです。



いかがでしたでしょうか。
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