ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「正しいもの」の見分け方

ロゴスの小径へようこそ。

鬼怒川の氾濫による被災地で、すでに盗難が横行しているとか。
人間の本性とはやはり「善」とは思えず

人は政府や警察など「統治」するものがないと
万人の万人による戦いの世界になってしまうのかなと
思わずにはいられません。

マッドマックスや北斗の拳のような世界に。

そう考えると戦争はなくならないのかもしれません。

ところで戦争とは、つきつめて考えると
自分の正しさの主張ですよね。

根底には宗教や経済があるわけですが。

誰もが自分が正しい、と思って
そこに摩擦ができるわけです。


自分の神が正しい
自分の国が正しい


なんて無茶なことを言ってるんだ!と思っても、
言っている本人にとってはそれが「正しい」ことと信じているだけのことなんですよね・・・。


ところで、
「正しい」かどうかということの判断は
どのようになされるのでしょうか。

例えば病気になったとき。

この病気にはこの薬、というのが判明していればいいのですが

それが発見されるまでは時間がかかったりしますよね。

100年前までは不治の病とされた病気でも
さまざまな臨床や実験で

効果がある薬が発見されたりするわけです。


はじめは

この薬にはAという薬が効くだろうとして投与されていても

数年後にはBのほうが効く、とわかったり。

薬に限らず
私たちの暮らしに今あるもののほとんどは
そうして淘汰されてきたようなものですよね。

つまり科学的には

この病気には、Cが効く!といきなりわかったわけではなく

Aではない、Bではない・・・と

否定してきて残ったものが 正しいもの となっています。

ですのでこの先、いやCではなくDだった!ということも有りうるわけです。


つまり

正しいものには必ず「否定」が含まれているはずなのだそうです。


逆に言えば
まったく否定も含まずに「絶対的に正しい!」とされるものには
嘘が含まれることになります。

経験や実験を何もしないでいきなり
「Eが絶対にいい!」なんていうものは
たいてい嘘が含まれているということになりますね。


こういうのを本来私たちは自然に

「うわ、怪しい!」と感じ取っているはずです。


はずなのですが


しかし

まったく疑うこともなく、信じてしまっている場合があります。


そして
絶対に正しい!!!!と自分の意見を相手に押し付けるのです。

自分で勝手に信じているだけならいいのにね。



自分でそれが絶対に正しい!と思ったら

それが相手にとっても正しいことと言い切れるのか

そして


その正しさはちゃんと「否定」を含んでいるかを
ちょっと考えてみるといいと思います。


「これをすれば幸せになれます」
なんていうとき、ちゃんと否定を含んでいるでしょうか?


いろいろなものを試して
これでもない、それでもない、とした先に
「正しさ」(自分なりの)があるのです。


いかがでしたでしょうか。

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