ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「思考」は何の役に立つか?

ロゴスの小径へようこそ。

大学の文学部をなくそうというありえない動きが
文科省から提案されているそうですが

なんて短絡的で危険な思想なんだろうと思います。

世界は経済や政治や科学だけを重要視すればそれでいいのかと

私も以前はそれに近い考えでした。

思考すること、は宗教みたいなものに近く、
それよりも

「実際の」生活や社会がより便利に、「より良く」
なるような部分をもっと伸ばす方がいいのだと。


けれど

経済も政治も科学も
その根底にあるのは人の思想です。

何が正しいか、何に進めばいいのかは

人の思想で決まるのです。

例えば


科学(医学)が発達して、
クローンを作ることだって可能な現代。

人間のクローンを作ることも
不可能とは言い切れません。
いえ、実際もうその技術はあるかもしれません。

けれど、それを実行していいのかどうか?は
倫理の問題。

科学者が考えることではありません。

(もちろん科学者も考えますが、
科学者は忙しくてゆっくり思考している時間がないそうです)


クローンを作り、
自分が病気になったとき、そのクローンから
健康な臓器を取り出して移植する。


科学の恩恵を最優先に考えたら
それは「正しい」ことのように思えます。

重病人もそれで助かるかもしれない。

重病人が子供の場合だってあるのです。
苦しむ子供がそれで救われるとしたら・・・


けれどそのクローンには脳もあるのです。

彼には感情はないのでしょうか?
黙って臓器をとられるだけの人生??

それを人為的に作り出していいのか?


もしくはそう感じないように
脳のない人間を作る?

作っていいのか?



どうでしょう。

答えはあるようで、ないのです。


何を正しいと思うかは
人それぞれであり


それを思考するのが
哲学者たち(現代では医学と哲学、など密接に絡みついています)
です。
あるいは宗教も含まれます。


けれどそういう思想が育つ土壌をなくしてしまったら・・・?


人間は
絶対的に信じていた「神」をとっくに失っています。

神様のために今ここで自分の息子を差し出して殺せと言われて
すぐにできるほどの信仰をもつ人は
(神様のために敵を殺すことはできても)
少ないのではないでしょうか。


神様の代わりに信じてきたのが「理性」です。

人間の、「理性的」な「正しい」判断で

人間を平等に扱ったり
貧しい国に寄付をしたりしているのです。

神様に命令されたからでもなく
あとで天国に行けるからでもなく

私たちは少なからずも
貧しい人や不当な扱いを受ける人・動物・植物を
助けたいと思うのではないでしょうか。
見返りがなくても。


それこそ人間の理性、良心のようなもの・・・

神がいなくてもそれがある、と「信じて」
生きてきたのに


次は経済、つまりお金を神様にするというのでしょうか・・・

虚しいですよね・・・

(ちなみに私たちは「お金が欲しい」のではなく、
お金で得られる「モノ」や「サービス」や「価値」などが
欲しいだけです。
もし絶対に使ってはいけない、相続や贈与もできないと言われて
それでもお金のためならなんでもする、というほど
お金を欲するような人はいませんよね。)



哲学なんか学んでも
何の役にも立たない、「霞を食べて生きられない」など
言われたことも有りますが


哲学、というか思考することは


判断力につながります。


人生は全て、選択の連続、というか
選択なのですから
(今日何を食べようか?とか、トイレに行こうか?まで全部選択です)


それはちょっとした選択から


本当に重要な選択を迫られたときに

とことん思考できるかどうかにかかわります。
思考には、方法があるので、それを学ぶのが哲学という感じです。


その力があれば
人に流されるような人生を
送らなくて済むことになります。

自分を生きることだけが
人生の意味なのですから。



いかがでしたでしょうか。


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