ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

失われる本来の言葉

ロゴスの小径へようこそ。

先日知人が、「生おせち」なるものの予約販売をしているところがあると
SNSに掲載していました。

おせちってそもそもたいしておいしくないので
(昔の、保存のために作られたと思えば当然です。)

生のほうがおいしそうだな〜と
単純に思ってしまったのですが


日本の伝統であるおせち。
所説ありますが、お正月だけは女たちを休ませようとしたとか。

食べ物一つひとつにも本来の意味がありますよね。
こぶは「よろこぶ」というような縁起担ぎ。

他の食材もそんな風に

一年の息災の祈りがこめられているのです。


その伝統のおせちを
生とか洋風だとか

そんな風に変えてしまっては


この先、伝統は守り切れるのでしょうか?



・・・と危惧しちゃいました?w



よおーーーーーく考えてみてください。

伝統のおせち、って言いますが

今のおせちはもう既に
明治時代のおせちとは違いますよねえ。

日本料理が
白砂糖なんかをお菓子みたいに料理に使うようになったのは
ごく近年のことだそうです。


さらにさかのぼったらどうでしょう?

戦国時代は?

いえ、そもそも一般の平民に
お重にいれたおせち、なんて用意できたのでしょうか?

もっとさかのぼったら?

縄文時代は?


・・・・意味なくなってきましたねw


もちろん歴史が大事ではないという意味ではないです。

ただ、本来のあるべき姿、だとか
こうあるべき!と叫ぶのは

きちんと歴史を知ってからでないと
恥ずかしい思いをする、というということです。


考えてみると、
世の中はそういうものであふれています。


若い子の言葉遣いを(言語学者でもないのに)
嘆く人もいますが

そもそも自分の言葉遣いだって、
親世代とはすでに違うのに。

和製英語の入り混じった言葉で
毎日生活しているというのに。


宗教だってそうです。

古い宗教が大事、と言って遡れば


日本だったら巨石や山を拝む信仰、
さらに祖先の霊となりますよね。



本来のありかた、と言うのなら

ほどほどの過去にさかのぼる、では
すまないはずですから。


仏教の輸入を嫌う人もたまにいますが

仏教が入る前は
人身御供で子供を神様のいけにえにしたり

江戸時代でもまだ橋のたもとに人柱を立てていたそうですが


そういうのも認めることになるんですよね。



それどころか
進化論が正しいなら
サルっぽいものに遡りますよね。
サルの信仰?おせち?言葉使い?

いや鳥か。魚か。アメーバか?



考えてみると


たいした思想や主張もないのに

古いものが大事、守るべき、と
自分が守りもしないのに言うのは滑稽ですよね。



もちろん私も以前はそういう恥ずかしい人だったのですが
誰かに滑稽だなあと思われていたんでしょうねえーーーw



繰り返しますが
もちろん歴史が大事ではない、とは思っていません。

私、歴女ですしw


人間の作り得るものなんて、歴史しかないんですし。



歴史や伝統を守るのも
守ることに意味はないとするのも


どちらも実は正しいとも正しくないとも
言えないものだったんですね。


当然だ、と思うかもしれませんが
数年前までの私はこんなことも知らずにいたのです。びっくりですねw




いかがでしたでしょうか。

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