ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分を知るには

ロゴスの小径へようこそ。

最近相対性理論を学んでいます。

哲学なのに、なんで理系?!と思います?

でも科学はもともと哲学の分野だったんです、というか
昔は哲学者=科学者だったんです。

それに科学も哲学も同じものを探してるんです。

「世界」とは何か

という。



哲学とは結局は
この世界が何なのかを知りたいという欲求です。

なんで生きてるのか、とか
なんで死ぬのか、とか

いろいろ突き詰めていくと

結局、この「世界」ってなんであるの?

に尽きます。


哲学では、
「なぜすべてが「無い」ではなかったのか」というように問うわけですが。



もちろん世界なんかじゃなく、
自分のことが知りたい、というのも
大きな哲学の問いですが

それだって結局

この世界にあるのが自分なので

この世界を知らないと知り得ません。


自分という意識というか心というか、考えているこの自分は
自分だけのもの、
自分だけの独特なオンリーワン、

なんて思われがちですが


違います。


もし私たちが無人島に生まれて
誰にもあわずに生きてきたら

今のこの自分にはなり得ませんよね。

いろんな人や情報を取り込んで
もしくは押し付けられて

出来上がったのがこの自分です。

ぼんやり見ているテレビなんかも吸収しちゃってますよ〜!



だから
自分を知るためにも、世界がどうあるのかを
知る必要があるんです。


自分を知る意味があるの?
と思う人はそれでいいと思います。

そんなこと考えずに日々楽しく暮らせるならそれで。


でも私は知りたい。

この世界に生まれて、
死んでいく私たち。


これはなんなのか
世界はなんなのか

出来うる限り知りたい。


人はどこからきて
どこへ行くのか。


こういう本質的な問いを

しかし本当は誰もが心の底に持っているはずです。

そこから目をそらして生きていくか
そらさないか
その差だけです。


そして、それをぼんやりと考えて自分の中から答えを出そうとしても
結局何もありません。

いや、本気で瞑想したり思考したり
エスブッダや、そういうレベルの人は
自分の中に答えがあったと言えるのでしょうけれど。


そうでない私たちは

直視して学ぶしかない。

それが一番楽だからです。



つまりは
まったく考えないで、日々おもしろおかしく
飲み歩いたり旅行しまくったり恋をしたり子供をメインにして
自分の人生を忘れて人生を過ごすか


深く思考し世界を学ぶか=自分を知るか

そのどちらかが楽だと思います。


どっちつかずで、
うすうす気づいているのに横目でみるような、見ないふりをするような、

そういう立ち位置だと
悩みは尽きないと思いますね。



今の生活に違和感を感じたら
友達との会話がなぜか虚しく感じたら
日々楽しいはずなのにどこか満たされていなかったら


後者を選ぶしかないと思います。



いかがでしたでしょうか。
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