ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分を形作るもの

ロゴスの小径へようこそ。

「自分」って
わかっているようでわからないですよね。

でも、
自分というこの体の中に
自分という意識が収まって密接につながっているもの

というような感覚は誰しもあるのではないでしょうか。


しかし
自分
とはそんなに厳密にここにあるものではないそうです。

例えば

遠くにあるものであっても、
それが自分の好きなものであれば
一気に自分の意識に近づけることができますよね。

反対に、背中のソファーの背たれは
いま自分に触れているにもかかわらず

まるで意識されていないので、無いも同然だったりして。


昨日、宗教学の先生のおすすめで
GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」を観ました。
アニメです。

余談ですが、近年の文学は
ものすごくスケールが小さくなってしまって、
身の回りの出来事しか書くことができなくなっているそうです。

反対にアニメは、世界の本質に迫るようなテーマや思想を
展開しているものがあるそうです。・・・まあ、限られていますが。


そのアニメで印象的だったのが、

まあ近未来の話で、
人間の脳にコンピューターが内臓されてしまっているような状態なのですが
(遠くない未来そうならないとは言えませんね・・・)

情報が脳に直接リンクしてくる主人公が

自分というものがわからない、というのです。

情報につながった自分の意識。
どこまでが自分でどこまでが自分ではない、と
どうラインを引けるのか?

と。


これ、今でもそうなんですよね。

意見を話していても
それは誰かの聞きかじりだったりして

それを意識できているならまだいいのですが

自分の意見だと思い込んでいたら・・・。

ちなみに
誰かの説であっても
自分で吟味し、調べ
自分なりの言葉で言い直せは、
それは自分の意見です。

だって、そうでないと人間は何ひとつ意見なんか
持てないも同然ですから。

けれど、
大半は

そんなふうに吟味されずに
ただ聞いて、ちょっと「いいね!」と思って
自分の意見みたいにしちゃったものではないでしょうか。

ニュースでこんなことをやっていたから
この人は悪い人だ、とか

芸能人でいい感じだから
この人はこうだ、
とか

映画を観ても、批評で言われているようなことのまんま感動したり

旅行にいっても
netやパンフレットのままに感動したりねw


ということは。

自分を無意識に形づくっているもの、とは
ふだん自分が接しているものということになりますよね。

自分が
どんな人と話し
何を見て
何を読むか

日々のそれらすべてが自分を作っていくことになります。


自分が子供時代は
親が子供の交友関係に口出しするなんて、と
思いましたが

当然ですね。
子供時代は特に影響を受けやすいので
(他人と自分とのボーダーがあいまい)

人生に影響しますからねー


でも大人になれば
自分で選べます。

もちろん仕事などで
付き合わざるを得ない人というのも
できてきますが

むしろ大人ですから
変な影響を受けないようにしたり
反面教師になってもらったりできますよね。


最近、
自分の好きなものだけに囲まれる、みたいなのが
テーマになっているように思いますが

好きなもの=いいもの

とは限らないんですよねえ・・・


しかしこの場合の「いいもの」とは、
子供とは違って

自分がこうありたい、と思うもの

ということになるのではないでしょうか。


最近、
新しい出会いがありました。

そこでまた私の人生は
方向は同じなのですが、行きたい方向に加速がついた感じ。

やりたいことも一気に増えました。

人生は出会いで変わっていくのは間違いないですが


その方向は自分が決めるもの。

「自分」というものはやはり
自分で意識して作っていくものだと
(すべてではなくても)

私は思います。

いかがでしたでしょうか。

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