ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

生活を変えたいなら

ロゴスの小径へようこそ。

なんだか毎日がつまらない
自分の生活を変えたい


そう思いつつ
なーんにもしないなら

当然生活は変わりませんよね。


そこで
何かをはじめてみよう

と趣味をはじめてみる。

あわよくばこれが仕事につながったりして、
なんて思いつつ。


ところで
よく、「天職」に出会えば
好きで楽しんでやっているだけなので「努力は不要」などと
言われたりしますよね。

(余談ですがこの「天職」という考え方も
キリスト教から来ています。)


これをまさか信じたりしてないですよね?w


もちろん、趣味であれば努力しないでも
楽しいだけで済む場合もあります。

何事も努力は必要とも言えますが

高みを目指すわけでもなく、
そこそこの
「自分ができる範囲」のことをやって

飽きたらやめれば
努力は必要ないですからw


とはいえ趣味であっても
生活を変えるほどの変化が欲しいのであれば
努力は絶対に必要です。


私が大学に再度戻った同じ年に偶然なのですが
一人の友人がバレエを
もう一人の友人はピアノを始めました。
(二人はまったく別々の友達でお互い面識はありません)


二人ともはじめは

ほんと、ちょっと趣味でやってみるだけ、
なんて話していたのに

今では発表会を目指したり
難しい曲を弾けるようになったりしています。


そして、二人とも
今の生活にそれがなくてはならないもの、
今の自分の中心だ、と口をそろえて言うのです。

それは私にも同じで

今の大学生活が楽しくて楽しくてしかたありません。

振り返ってみれば

生活は、

というか人生が

そこで変わったのがわかります。


これがある人生と無い人生では

生きた意味が違うほど
大きな変化です。


楽しそうでいいね、と皆に言われます。

楽しい、と答えます。

けれど
人には言わなくても
努力は絶対に必要です。

語学なんかもそうですよね。

私は大人になってから英語を始めましたし
それは趣味みたいなものだったので
けっこう楽しく学べました。

とはいえ

単語を覚えたり試験を受けたり

やはり努力は必要でした。


聞くだけで英語が話せるようになる、

なんて広告があったりしますが

まあ、英語のベースがもともとあったり
本気出して聞きとりをするなら別ですが

ちょっと気が向いたときになんとなく聞いたくらいで
話せるようにならないですよw

そもそも聞き取れないです。



ではなぜ

たいした努力もしていないのに
楽しく目的を達成した!

みたいな意見がはびこっているのでしょう?

一つは、努力なんかしていない、というような
ある種の見栄かもしれません。

でも本当の理由は
楽しさが上回って、努力をしたことを忘れてしまうのだと思います。

もちろん
努力は常に必要で
目的を達成しても努力するしかないのですが

習慣化するとだんだん「努力」という感覚が
なくなっていくんですよね。


もし生活を変えたくて
何かを始めても

それが、努力を伴わないなら

結局飽きたり、できた「つもり」になって終わるだけです。

もしくはさらにその裏側、
実はもっとできる人(つまり努力している人)にかなわない事実が
辛くなった、というのが原因でやめたり、ねw


本気の努力をすれば
生活は変わりますよ。

本気で転職すれば生活が変わるのと同じです。

とはいえ
努力なんかしたくない、

今のまま自分の能力の範囲内で生きていく、
というのも

それはそれでその人の生き方なので
悪いと言うわけではないと思いますが。


私は
昨日の自分より少しでも進歩というか
成長していたい、と
常に思ってきました。

もちろんそれが何であってもいいのですが。


そうして常に自分を乗り越えるように生きることだけが
生活を(良い方へ)変えることができるのではないでしょうか。


最近、科学を学んでまた世界が開けました。
そんなものを学ぶなんて、少し前まで到底考えられませんでした。

世界が開けるということは
楽めることが増えるということなんです。


いかがでしたでしょうか。
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