ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「実存」と「存在」

ロゴスの小径へようこそ。

最近、大学で科学哲学を学んでいるのですが
何を学んでもその根底にあるのは
「実存」と「存在」だなあとつくづく思います。

科学の成り立ちもそうです。

そもそも世界は宇宙のような空間が「ある」時間が「ある」
とするのか

それらが「ある」という確証があるのかと
する立場か

それはいまだにまだ決着がついていません。


この世界がなぜあるのか
時間ってそもそもあるのか、とか
空間てなにかなんて


問うてもしかなのないことですよね。


それを問わずに生きていくこともできます。

というかほとんどの人はそれを問わずに生きています。


だって、意味ないじゃないですが。
人間ってなんだ?とか
生きる意味ってなんだ?とか

そんな無いものを問い続けるより

限られた人生をいかに充実させて楽しく生きるか


それが生きる意味であると思っていればいいわけで。


これが「実存主義」という考え方です。


宇宙の果てに何があるのかとかその先はどうなっているのか
人間に生きる意味なんかないんじゃないかとか
そういうことを真剣に考えて虚しくなる意味はないのですから


にもかかわらず


どうしても考えてしまう人がいるのです。

「存在」とは何かを。


前から何度もご紹介していますが、
中島義道さんの著書がわかりやすいと思います。


人間の生きる目的も意味も
(宗教的に捉える以外に)ない、ということに
虚しさを覚えても

まったく意味がないことを。

にもかかわらず


いろいろ思考して突き詰めると

そこに陥ってしまうのです。



これ、本当になかなかわかってもらえない部分ですね・・・
中島義道さんもおっしゃっているのですが。


哲学の思想の中でも
実存 と 存在 に(簡単に分けると)わかれてしまうように

哲学をしているから、皆そこを問う、というようにはならないんです。



このブログを始めてから
メッセージやメールをいただく方の
ほとんどがそこに触れている方で


ご紹介した本の中で
一番ご感想をいただくのが中島義道さんについてなので


仲間が生息していることは確かだと思うのですが(笑)



私がいま 学んでいるのは

その、存在とはなにかについて、わかっている部分です。

最終的な答えはないですよ。
でも、人間が思考しうる範囲はあるわけで

過去の哲学者や思想家たちや
科学者たちが

理解しうる範囲を提示してくれています。

例えば宇宙について

今はここまでわかっています、というような。


その、「わかっている範囲」を学んでいるのです。

その範囲は
学ぶまでは私の知らないことだったわけで


問わなくてはいけない対象が
それによって減るわけです。


悩みを学ぶことで減らしているような感じですねw


まあそれでも結局
人間がなぜ存在するのかという謎と
宗教に帰依できない以上、(宗教に帰依できるのはある意味実存的ですね)


存在が欠けている

という虚しさは解消はしないのですが。



今日は科学を学んでいて
科学でさえも

その根底は

実存 か 存在 かに分かれているんだと知りました。


人間は知りたいんですね。

なぜ生きているのかを。


どこに向かっているのかを。


人間の営みの全てが(宗教までも)
そこに根差しているのですが



できることなら
人生をイキイキと、実存的に問う側でいたかった。


でもまあ、仕方ないですねw



いかがでしたでしょうか。
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