ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分の行き先

ロゴスの小径へようこそ。

自分が本当にしたいこと、って把握されていますか?


私なら哲学・・・いえもっと具体的に。

大学での学問。

いやそれはそうなんですけど。


そうではなくて

自分がどこに向かっているのか、ですね。


それは
叶えたい夢だとか目標、というのと
ちょっと違います。
まあ、最終的にはそこに行きつくのも有りですが

そうではなくて


どこに向かっているのか、

つまり

have beenです。



余談ですが
英語を学んで一番の収穫だと思っているのが

have beenを理解したことだと思っています。
私の通っていた英会話学校のポリシーだったんです。

日本語には、have beenがないそうです。

(だから日本人は過去分詞が苦手だそうです)

言われてみれば日本語の会話のほとんどが過去形です。


夢を叶える、というと
叶った未来のその一点だけを指している感じです。

でもhave beenだと、

そこに向かっている間も含まれるんですよね。

(ちなみに現在進行形、beingとは違います。念のため)



話を戻しますと

自分は何をしたいのか、何をしているのかを

例えば大学のこと一つだけ取り上げて考えるのではなく


ちゃんと
どこに向かっているかを考えているか、ということ


それは「目標」として掲げたものに努力して向かう、
仕事の成功を目指す、というよりも
(それでもいいのですが)


自分が何が好きで何がしたくて、
どこに向かっているのか

というような感じです。



まあ、もちろんどこに向かうか何も考えずに
日々おもしろおかしく暮らすのもアリですが。


私はどこかに向かわないといられない、
常に自分の中では階段を自分なりにでも
昇っていないと気が済まないタイプなのでw


(ちなみに
自分がそれをできないから子供が階段を昇るのを見ている
という人も多いそうですが、
子供は自分ではないので自分は埋まらないそうですよ。
私には子供がいないので、ちょっとわからない部分ですが。)



そして
それを考えてみたとき

自分が向かう先をいつの間にか失っていることに気づきました。


いつもどこかに向かうように生きてきたのに

いつの間にか
迷っていたんだと気づきました。

まさにこれが
気づき に 気づいた状態 です。


まったく気づかなかったといえば嘘になりますが

面倒で目を逸らしてきた、とも言えるかもしれません。
その時間で勉強したかったということもあり・・・いやそれは言い訳かもしれませんが。


以前もご紹介させていただいた信州読書会さん
youtube音声サイトです。)
のお話で

このことに気づきました。



私の中では

大学
制作
仕事(イラストやデザインの仕事をしています。)


そして
哲学。


とくに、


どうしても虚しさを内包して

死に至る病を患いつつ
神も信仰できなくて

とはいえ死ぬこともできないし

この哲学病のことを

伝えたい。

中島義道氏や池田晶子氏の文に触れなかったら


私はもっと苦しく生きていたはずなので



・・・


というあたりをですね、(笑


もっときちんと考えてみることにしました。


このブログも
なるべく易しい内容で

これでもw

なるべく前向きになれるような、
なるべくタメになるような、を
目指して書いてきたのですが


考えたらそういうブログはたくさんあるし

「いいね!」が減っても


この心の根源にある
虚しさに


世界の根底にある
虚無のようなものに

触れてしまう人にだけ届けるつもりで書こうかな・・・と
思ったり。

だってこれ、仕事じゃないですしねw


そうでないと


本当にしたいことを
見失ってしまうんですよね。


このことについてはもっと考えていくつもりです。


さて

皆さんはいかがですか?


どこかに向かえていますか?



本当にしたいことをしつつ、
したいこと
にちゃんと向かえているのか


仕事だとそうもいかない場合もありますが

それ以外のことのほとんどは

そうなれるはずなんですよね。


まあ、それをしても根底は虚しいんですけどね(笑


でも、虚しいからって
何もしないとか、
自虐的な人生を送るのは更に虚しいから
こうして悩んでしまうわけでw


究極的には
この虚しさを笑えるくらいになりたいんですが

哲学病のみなさん、どうでしょう?w



いかがでしたでしょうか。

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