ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

目にはさやかに見えねども

ロゴスの小径へようこそ。

突然ですが、お知らせです。
今年の目標のひとつ、メインブログの再開です。

『願わくば桜の下にて』

以前と同名のブログですが、
以前のブログがいつの間にか使用不可になっていたようで
(FC2って、告知なしにそういうことがあるそうです(>_<。)
引っ越しをしましたので

以前からご愛読くださっている皆さまは
お気に入り登録の変更をよろしくお願いいたしますm(__)m

・・・と言ったものの、
このブログとはものすごく違うコンセプトになります。


私はなんでも極力理論的に思考してしまうタイプです。

なんとなくスピリチュアルなものをうっすら信じていた時期もありましたが、
それを追求していくと

案外根っこになる部分がスカスカなのに気づきましたw

とはいえ、持ってきているソースは
キリスト教をはじめ他の宗教の教義や、哲学思想、成功哲学なんかからの
抜粋のような感じですので

まるっきり怪しいもの、というわけではありませんw

ソースを知ってしまうと、
うわべの「スピリチュアル」のあまりの軽さに
うわ、と思うのですが


しかし翻って、言っていることは深い思考と
同じような部分を内包しています。

そこを知って語るか
知らずに語るかの差で

同じと言えば同じなのかもしれませんがw



しかし、反面
ここ数年いろいろなことを学んで

この世の中は、目に見えるものが全てではない、と

上っ面の言葉だけではなく
本当にそうなのかもしれない、と
思えてきたのもまた事実です。


もちろん科学的な根拠はありません。
観測が不可能だからです。

けれど、観測不可能といえば、
最先端の科学もまた同じ(!)だそうです。

年末に素粒子がまた発見されましたが
発見といっても目に見えるものではありませんよね。

実際に目で観察できないものを「ある」とするのは

神様がいる

とするのと、ある種同じとも言えます。

(同じ、と言い切るのは言い過ぎだとする哲学者と、
同じだとする立場の哲学者がいます)


画像なんかもそうですよね。

「人類は月に行った」

と言って見せられたのは「画像」。


これが本当に観察できる、目に見えるもの、と
言えるでしょうか?


外は雨が降っていますとテレビに画像が出て、
実際外に雨が降っているのを見たら

それは観察、であり真実です。

けれど、画像だけを見せられたとき

それを真実、とどうして決められるのでしょう。


と、そんな風に実は
科学的、と言っても案外あやふやな状態なものなんです。

・・・というのをここ数か月の「科学哲学」で学んだのですが。



とはいえ
唯物論的なマルクス世代の親や教師に育てられた世代である私は

目に見えないものを否定しがちです。


けれど、絵を描くときに
言葉では説明できない感覚で描いているのもまた(私の中での)事実です。


オカルト的な世界を追求したいわけではありませんが、

哲学(心理学や脳科学)や科学だけでは説明しきれないものが確かにあって

世界は割り切れないものを内包している、としか思えない。

というあたりを模索する場にしようと思います。



このブログに綴ってもよかったのですが、
私の中ではあまりにも対極にあって(しかし実は同じもの、とも思える)
混乱しそうなことと

そういう世界をうっすら信じている方には
このブログの内容は全く受け入れてもらえませんので
(それで友達も読者さんも減ったなあ・・・(^-^;

やはり分けました。


私自身、これは今年のチャレンジの一つです。
哲学だけを深く追及していくと、虚しくなりますからねw

宗教や、それにまつわる「目にはさやかに見えない」何かを
(秋の句からの引用なのがちょっとアレですがw)

しばし追求したいと思います。



いつか自分の中のこの相矛盾するものが
ひとつに統合できればいいのですが・・・と思いかけて

いえ、統合はできないのです。

できないまま矛盾をそのまま受け入れるしかないのが
この世界なんですよね。


我ながら まだそんなところにいるの?って感じですがw

自分が否定してしまいがちなものを
色眼鏡で見ない、ということが大事だと思うのです。


あなたがつい否定してしまうもの、なんですか?

世界を変えるヒントはそこにあるのではないでしょうか。

今年は一緒に世界を変えよう!




いかがでしたでしょうか。
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