ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

世界を知るということ。

ロゴスの小径へようこそ。

なんだかお久しぶりです。
今日は、あれから5年・・・震災の日でしたね・・・。

私はあの日、会社の机の下にもぐって
大声で神様に助けを求めていました。

宗教人の多かった会社なのに
祈っていたのは瑠璃さんだけだったね、と
あとで笑い話になりましたが


今の私があの頃と大きく違うのは
もう「神」さまを信じていないことだと思います。

しかしそれでいて
もしまた同じ状況になっても

私は大声で神様に祈ると思います。
だってそれ以外できないから。

神ってそういうものなんじゃないかなとうっすら思っています。



さて
ここのところずっと科学哲学を学んでいます。


科学なんて、自分には本当になかった知識。
だからとても難しいんです。
はじめは教科書も意味不明でした。

何度も何度も読み返し
参考資料を読むうちに

最近やっと、少しずつわかってきた感じです。

そして

科学(の意味)を知らないと
哲学できない、というよりも

自分を知りたい、とか
世界を知りたい、とか


その何もかもが知り得ないんだとつくづく感じています。

世界が神によって物理的に創造されたということを
誰も鵜呑みにしなくなってからは


世界がどうあるかについて知る事だけが
唯一
自分が何者かを知る方法だと思います。


いえ正確には
世界ってなんなのか
自分ってなんなのか
なんて

どんなに科学が発達しても、知り得ません。

でもせめて、わかっている部分だけでも理解できれば
少なくとも自分が無知なせいで背負い込む余計な悩みは
その分減る事になりますよね。



私達の住む物理的な世界ってどういうものでしょうか。


言うまでもない、簡単。
この宇宙に浮かぶ銀河系の地球に住んでいる人間。

宇宙にはいくつかの銀河があって
ブラックホールもあるらしい。

無限に広がる宇宙。

それは
自分というものを基準にして

空間は
前後左右(上下)に限りなく広がり
それは数学に置き換えて座標で表すことができる。

世界ってそんなものだと
なんとなく思っていないでしょうか。


宇宙には確固たる「ここ」というものはなく
あくまでも自分が基準。

「2メートル西」という場所は存在せず
あくまでも自分を基準にして2メートル西、なんですよね。

あなたの2メートル西と
私の2メートル西は 違う場所ですよね。

なぜ違う場所になるかというと、

あなたも私もいなくても、「世界」という同じひとつの場所、空間が存在しているからです。
だから座標にできるんですね。

その中のどこに「自分が」位置しているかという話ですよね。



そして全てのものには原因と結果があります。

種を撒けば芽が出て花が咲き実がなります。
玉をつけば次の玉にぶつかって
運動が連鎖していくように

全ては連続的につながっています。

だから私達はこんなふうに考えるのです。

あなたと再開したのは運命だった、
なぜなら
昨日風邪をひいて会社を休んで医者にきたから出会えたのであり
そもそも風邪をひくなんて数年ぶりで

たまたまあなたを思い出して
まだ寒いのにあのカフェのテラスにいったからであり
そこに行くのもたまたま電車が遅れてしまって
ひとつ手前の駅で降りたからだ。

ああ運命だ!

と。

世界はこんなふうに「因果的」にできています。
なぜなら

人間は世界を因果的に捉えるからです。


つまりそれは実はなんの根拠もないことなんです。



びっくりしませんか????

私はびっくりしました。

運命の再開の話は大げさだとしても、

だいたい今述べたような感じで
世界はそんな風にできていると
私たちは漠然と思っているのです。


これが、「古典的物理世界」と呼ばれる
ニュートン力学を中心として構想された世界の在り方です。


もちろん、科学で全てが解明できるとは思っていません。
それはなぜかというと

人間が無知で世界を知り得ないからです。

例えば
台風の予想や地震の予想も

もっとデータを集めればいつかは全て知り得るはず

人間の体のことも
まだまだ知り得ないことが多いのは
私たちが無知なせい。

これからもっと科学が発達すれば
いずれは全てを知ることができる。

全てを知ることができなかったとしてもそれは
単に人間の知能が足りないだけのこと。


・・・と


思っていませんか?

これまた古典的物理世界の考え方の特徴です!!




しかし現代
世界は実はそんな風にできていないと言われています。

それが量子力学という概念です。(最先端は超紐論など)


とはいえ私では到底説明しきれないのでw
ご興味のある方は調べていただきたいのですが


世界はどうやら、
先に述べたようにできているのではないらしいのです。


足元がぐらぐらするような感覚になりました。

世界は確率や統計の概念でしか言い表せない。

この意味はつまり


世界はどういうものなのかという確固たる説明が
存在しないということになります。


無限の宇宙の中の一つの星に住む私たち。
世界には原因があれば結果がある。
知らないことは無知がそうさせているだけ。

というような
私たちの世界の捉え方が

(私たちの、と言いましたが物理学者など
相対性理論量子力学以降を知っている人にはその限りではないそうです)

神様を信じている

というのと実は大差ない


なんの根拠もないことだったのです。



ああショック・・・



そんなことも知らずに
私は生きてきたのか!!!!


先日、理系の博士号をもつ友人に会いました。

そこで彼にこんな話をしたのですが
もちろん彼はそういうことを知っていて


同窓会で大勢が酔って楽し気に笑う席で


でも、世界がこんな風にできていることなんて知らずに
皆生きているんだね・・・というと

そうなんだよね、と


私はこれを知ったのはつい最近。

でも彼は20代の頃から
とっくにそんなことを知って生きてきていたんですよね・・・

周りはそんなことも知らずに生きている。

しかも知ったからと言って幸せなわけでもない。
いっそ義務教育で習った範囲の古典的物理世界を
世界の在り方だと信じて生きていれば

悩みは減るのかもしれない。
世界がどうできているかの答えを
持っていることになるから。


そして生きていくのに困らない、というか
むしろ便利なので
義務教育では古典的物理の説明までなんだそうです。


でも

本当は違う

そして知っている人は知っている。

世界は不確定なものなんだと。


やはり私は世界を知りたい。
知っても意味がなくても。
知ったからといってお金持ちにもなれないし
幸せにもなれない。


でも知っている人がいるのに
知らないというのがいやでたまらない。

もちろん知の快楽もあるけれど


ちなみに哲学的には

結局科学もつきつめると

存在論に突き当たります。



つまり

なぜ「無い」ではあく「ある」 なのか


という問いです。


神様、を理由にしないのなら
どうしてもそこに突き当たります。



うまくまとめられないのでw

最近お気に入りのブログはこちらです。
http://huukyou.hatenablog.com/

大学の先生が書かれていのでは・・・と思います。
レベルがものすごく高い上に、わかりやすいです。


科学哲学を学んで
つまりこの半年で

私の世界観はまた大きく変わりました。

科学というものと
数学というものの概念が

うっすらでもつかめたからだと思います。


もちろん知らなくても生きていけますが

この年になってからでも
知ることができてよかった・・・って
まだまだまだまだ勉強は続きますがw



いかがでしたでしょうか。




たまーにのアップだどあまり順位は関係なくなってしまうのですが(^-^;

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