ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

心をコントロールする3つの方法・2

ロゴスの小径へようこそ。

さて今日は
心をセルフコントロールする
3つの方法の続きです。

大学できちんと習った内容ですのでご安心ください。

ところで、情報が正確かどうかの判断は
難しいものですが

ひとつは有料である

ということが判断になると想います。
有料メルマガ、だけでなく
本を買うとか大学です習うとかね。

これについてはまた書きますが、
メディアなどの無料の情報は
常にアヤスィーと思って確認した方がいいです。

というか、スポンサーがいる、というのはどういうことか
ちょっと考えればわかりますよね。



さて
心を強くするには
自分の心をコントロールできればいい
その方法のひとつは学問、
世界を知るということでした。

心が弱いあなたへ
心をコントロールする3つの方法

ほかにも方法が2つあります。

それは、瞑想と、道を究めること、だそうです。

瞑想は宗教家の方でしたら
方法はさまざまでも、たとえば祈るとか
お経を一心不乱に唱えるとかで
触れると思いますし

宗教に関係なく
現代では脳科学的にも、瞑想の効果が
よくうたわれていますよね。

しかし瞑想は、
本気で行う場合は
キチンとした先生につかないと危険だそうです。

α波が、とかそういう科学的な利点は
つまり、物理的な利点はわかっていても

人間は機械ではないので

測定だけでは得られない影響も有り得ます。

具体的には、

心?が、どこかにいってしまって
帰ってこれなくなってしまうそうです。

原因は説明できませんが
実際そういう事例があるので
一般人にはおすすめしないというのが

宗教学の先生の教えでしたので
十分お気をつけください。


ひとりでできる簡単瞑想としては、

繰り返しの、頭を使わない単純作業がいいそうです。

例えば繰り返し床をみがく、などの
掃除など!

だからお寺など宗教の場では
掃除が修行になるそうです。
瞑想の実践の場なんですね。

無心に掃除をしたあと、気持ちがすっきりするのは
きれいになるからだけではなく
その行為そのものに、心をクリアにする瞑想の要素があったからですね。

写経とか
編み物なんかもこの類ではないでしょうか。

工場の、頭を使わないタイプの生産ラインなんかも近いらしいです。

繰り返しの作業でアタマがぼーっとしてくる、
それでいて冴えている、みたいな。

ちなみにこれを目指して
単純作業の、テンキーのみの数字打ち込みバイトというのをしたことがありますが

私は眠くなっちゃって無理でした(笑)

向き不向きがあるようです(^-^;


さてもう一つは

道を極めること。

弓道、茶道とか、道がついているとわかりやすいですが

もちろん道がついていなくてもいろいろありますね。


例えばスポーツ選手など

本当に道を究めると、野球選手はボールが止まって見える、なんて
逸話もありますが

なんとなく想像はつきますよね。

登山なんかもそうなのではないでしょうか。


そして個人的には
芸術一般もそうなのではないかと感じています。

描いているとき、
もちろん頭を使うことが実は多いのですが

ぼーっと作業しているときもあります。

例えば地塗りといって
下地となる絵具など一色を
紙の上にまず塗ったりすることがあるのですが、
そういうときや

うまく言えないのですが

ぼーっとしつつも集中している、むしろ頭は冴えている、というような

状態になるんです。


単純作業でも、本当はそうですよね。
掃除でも、編み物でも、
ぼーーっとしていると実際はちゃんと終わらないですよねw
そもそも手が止まりますw



これら三つの方法で
自分に合ったものを極めていく過程で

心の平穏が得られるということになります。

究極的に究めれば、「悟った」とか「解脱」となるそうですが
実際悟りを開いているのは人類史上、仏陀だけですから

一般人である私たちは
当然無理ですがw



この三つの方法に共通していることってわかりますか?


人間て、常にいろんなことを考えてしまっているのですが
95%は過去のことを考えているといわれています。

考えてもしかたない過去を
それが楽しいならまだしも

後悔したり
つらいことを何度も頭で反復したりすることで、

悲しみや
心をさらに揺らしているのです。

その状態から少しでも脳を開放できれば
ストレスが軽減されるそうです。

それには、
なにも考えない、という状態が効果的だそうで。

でも、ぼけーーーっとしているだけだと
結局気づくと何かしら考えてしまっているんです。
意識してみてください。
ほんと、どうしようもないことや
昔のことなんかを
ぼーーーっと考えてたりしますからw



ちなみに、
たまーーに思い出して掃除に集中、したくらいでは

ちょっとそのときすっきりするかもしれませんが
たいした変化はないですよね。

だからこそ、お寺では毎日毎日修行として掃除するわけで。


やはり私には
世界を学ぶこと、が一番楽に思えますw


世界は
自分の思った通りで「あるべき」と思うと
生きにくくなるんですよねー。

世界は徹底的に不平等にできていますし
そこを認めないと
摩擦が起きます。

とはいえ、程度はあれ、ある意味それは
「あきらめ」のようなものを含まざるを得ません。

それが心の平穏につながっていることも
確かだと思います。

「大人になる」という感じでしょうか。

なので、それは虚しいとも言えると
私は考えます。

喧嘩になるから言わずに黙っていよう、と考えたりね。

純粋な子供時代は
そのまま即喧嘩、怒りをぶつける
(仲直りも簡単と言えますが)
自分の思ったことを通そうとする

まわりとの摩擦はあるでしょうけれど、
「純粋」「自分に正直」といえば、確かにその通りです。

それはどちらがいい、とは実際は決められないものですよね。


テレビで、熊本の被災地を不躾に取材して中継した、というようなことに
非難が集まっているのを最近facebookなどで目にしました。

そういうのを見ると、本当に腹立たしいと思うし
ひどいと思うし

そこに怒りのコメントを寄せている人も多かったです。

しかし、
被災されたご当人は別として

実際私たちができることは
テレビってひどいよねと、情報のままに怒ってコメントすることより

そのテレビを見ないことが一番です。
(ワイドショー仕立てのテレビ番組でなくても
情報は得られますから)

だって、テレビってなんのために無料なんだと思いますか?

広告を見せるためですよね。だから視聴率が重要なわけで。

広告を出すのは、企業です。

つまり、テレビに視聴率のために、あんなことをやらせているのは
スポンサーと

テレビを見てしまう市民
ということになりませんか?

ワイドショーのような番組を
ひどい!といって怒る。

でもテレビは見る。
スポンサーの製品は買う。

視聴率は得られて、製品も売れるのですから

マスコミ側は問題ない、ということになります。

ひどい番組だ、といってうわさが広まることで
むしろ注目があつまって
視聴率が伸びる、ということもあることです。


・・・というように
世界の本当のところ(さぐっていけばもっともっと深いし、
いろんな問題が出てきます。もちろん私の知識なんかものすごく浅い、一部でしかありません)
を見て、言動できるのか

自分の思ったそのままの世界(テレビをみて、こうなっているんだとそのまま飲み込んで
怒ってコメントしてしまうような)が
本当の世界だと思い込んで生きるか。

ひどい!!と心を揺らすだけ揺らして
結局視聴率にも貢献、売り上げにも貢献

それよりも
テレビはみない、スポンサーの製品も買わない。
その分のお金を寄付にまわす

というような冷静な判断が
知識があればできる、ということですよね。

(これはひとつの例であって、なんでもそうです)



いかがでしたでしょうか。

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