ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

夏の夜の匂い

ロゴスの小径へようこそ。

今日は蒸し暑かったですね。
なんだか空気が夏の匂い。

犬と散歩しながらいろいろなことを走馬灯のようにw
思い出して歩きました。

隣近所のお兄さんやお姉さんたち
弟たちとの
夏の夜の花火

従兄弟の家の夏休み
カナカナの鳴く夕暮れの田んぼの中の道と
雨上がりに見た大きな虹

両親が働いていたので(というかhave beenですがw)
子供時代の思い出はもう亡くなった祖父母の思い出が多いです。

小学校に上がる前は
勉強もしなくてよかったわけでw

弟もまだ小さくて喧嘩にもならなかったので
なんだか楽しい思い出ばかりのような気がします。

小学校二年の時に、家は火事になってしまったので
子供時代の古い家はいまはもうありません。

雨の日に、あの古い家の廊下の外の狭い軒下に一人で出て
祖母にもらったさくらんぼを食べた日のこと。

開けてはいけないと言われていた二階の廊下の奥にある扉は
今にして思えば物置だったわけですがw

当時はそこを開けると、違う部屋があって
違う世界が広がっているんだと信じていました。

従兄弟と一緒に二階の窓から、一階の屋根の上にこっそり出て遊んだこと

父が休日の朝に焼いてくれるホットケーキ


勉強も仕事も恋も交友関係も将来のことも
何もかも考えなくていい時代の
砂糖菓子みたいな甘い思い出。


そういうあれこれを

ちょっと思い出してみてください。

なんだか
思い出したいような
思い出したくないような気がしませんか?



あの時代に帰ってやり直したいわけでは全然ないのです。
それにそう考えることに意味はありません。不可能ですから。

心があたたかくなるような切なくなるようなあの思い出たち。

もう二度と戻ってこない
家族たちと過ごしたあの時間。

思い出は美化されていることもあるでしょう。

そういうことも含めて
もう手には入らない、人生で一番幸福だったと思えるあの日々。

母が飼っていたメダカはあれからどうしたんだっけ

電話のそばに置いてあった大きな桜色の貝殻は?

祖母の背中ですれ違った消防車のサイレン



驚くほどたくさんの断片を思い出すのに

けしてもう掴めない。


そのうえ
自分はいつか死ぬという事実。



そういうとき
私はいつも死にたくなるのです。

そしてモーパッサン
「ある自殺者の手記」を思い出します。


書評などを見ていないので(影響されたくないので)実際はわかりませんが

私にはこの主人公の感情が
わかるような気がしてならないのです。


幸せに暮らしていて
貧乏をしているわけでもない
寂しいわけでもなく
誰かと憎しみ合っているわけでもない

(主人公はむしろお金もちで、家族にも恵まれていたととい設定だったと思います。・・ってずいぶん前に読んだので(汗))

死にたい理由なんか何もないんです。
誰が見ても。

もし実際の話なら、
実は知らないところで不幸だった、とか
お金持ちだからって幸せではないっていういつものアレw な意見も
出そうですが

小説ですので、
彼が不幸な人ではなかったことは前提されています。


そうではなくて

あの戻らない時間を思うとき

戻りたいわけでもない
けれど
戻れないし

しかし失ってしまったあれこれを思うとき

泣きたくなるような
何とも言えない感情になりませんか?
死にたいとまでは思わなくても。


人生自体に本当は意味はなくて
いえ意味を作っても
もうじき死ぬんだと

(ちなみに主人公は50代の男性でした。)

そう思ったときに

泣いて叫ぶわけにもいかず

手を伸ばしてもなにも掴めず


しかしこれから貪欲に何かを掴みたいわけでもなく
もはや何者になりたいわけでもない
子供たちももう一人で生きていけるだろう
買いたいものはそこそこ買えるし
もう欲もない


きっと子供や孫たちと
穏やかに過ごす老後を
あちこちを旅したり
これからやりたい趣味や仕事や何かを見つけたり
楽しいことも考えたりもするでしょう。


けれど一人の夕暮れ時
ふと幼いころのあの夏の夜の匂いを思い出したとき

やりきれないような
どうしようもないような感情が
浮かんでくるのが


私にはわかるような気がするのです。



いかがでしたでしょうか。
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