ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

運を誰に任せる?

ロゴスの小径へようこそ。

運を天に任せる、とか
神様のお導きの通りに、とか。

それってなんだか便利な言い訳ですよね。

だって何をしてもいいことになります。

例えば
すべき仕事ができなかった
目標が達成できなかった
なにかに負けてしまった

全部神様の思し召しです。

ダイエットしたい。でも痩せない。
神様の思し召し。
部屋をきれいに掃除しない。でもできない。
神様の思し召し。

そんな程度ならまだいいですが

犯罪に走ってしまった自分。
神様の思し召し。

・・・これ、人間が出来うるすべてがOKということに
極論すればなってしまいますよねえ・・・。


そこでこんな風に考えるのです。
運を神様に任せられるのは

自分がもうこれ以上できない、というほど
一生懸命やって
それ以上できることはもうなくて

そんな時
あとは運を神様に任せよう

というのだ、と。



以前私は
(このブログにも書いていたと思います)

そんな風に考えていました。

つまり、やるべきことをすべてやった上で
これ以上できない状態のときに
あとは神様の思し召しを待つのだ、と。



けれど最近
それが正しいわけでもないなあと
思ったりしています。

というのも

頭の良い子は
そんなに勉強もしなくても
成績がよくいい大学に入れたりするわけで

考えたら生まれた時点でもう
私たちは「平等」なんかじゃないわけです。

顔がきれいな人は
苦労しなくてもモテるでしょうし

足が長い人はシークレットなんちゃらを
履かなくてもいいわけです。

努力とか
すべきこととか

各人それぞれのMAXで、といえばそうなのでしょうけれど


昭和時代はw

成功は自分の努力と比例、のように考えられていました。
いまだにそういう話をするエライオジサンなんかもいますがw

確かに成功には努力がつきものです。
どんなに才能があっても、本を書かないなら作家にはなれないように

まずは努力です。

しかし


自分のMAX努力した人が成功とイコールかというと


それは違います。


残念ですが。


だから私たちはこういうのです。

「幸せは人それぞれ」と。


いえ実際幸せは人それぞれです。そう思います。

でもそれってどこか

言い訳のにおいがするんですよね・・・私ひねくれてます?



先月から書いていますように

私は仕事先の会社の都合で
転職することになってしまいました。

これは神様が
変化のチャンス!と言っているのだということにして

職探しが始まったわけです。


そこでいろんなことを学びました。
本当にいろんなことを。


このほぼ一か月ずっと走りっぱなしな感じで
心身ともにへとへとです。


しかし運を神に任せるほど
私は努力をしたでしょうか?


自分のスキルが活かせないといやだとか
家の近くじゃないと嫌だとか

そんなことを言えているうちはMAXの努力だなんて
言えないですよね。

だから
転職がうまくいかないなら
神様のせいではなくて自分のせいなわけです。


とか考えているうちに私に起こったことは

会社の事情が変わり、
今まで通りの雇用が決まった

ということでした・・・


結果から言いますと

だから安心した、よかった、今まで通り!

思えるほど

その仕事を愛してはいなかったのでw


やはり計画は変わりません。
ただ余裕ができたので焦って不利な条件で決めなくても済んだので
もちろんよかった、とは思えるのですが。


まあそれはさておき


じゃあ私がしてきた努力はなんだったんでしょう?


他の同僚たちは案外ゆったり構えていて


一人暮らしで生活がかかっている人であっても

(そして私と同じ職種、同年代でも)


まだ決めてないの〜

という感じでした。


その人たちは
今回会社の事情が変わったので
元通りになるわけで


うーん。
どうせそうなるのなら

慌てて就活せずに

運を天に任せていた方が
よかった、とも言えますよね。


とはいえ

いろんなことを学んだので
これでよかったんだとも言えます。


こんな風にいろいろ考えてみると



どっちでもよかったんじゃね???結局


私は行き着きましたw


祈っても
祈らなくても

神様の責任にしても
自分の責任にしても


未来がわからないことには変わりないのです

努力しようがしまいが

成功しようがしまいが

結局自分が満足すればそれでいいわけです。


運を天に任せて
努力もなんにもしないで
神様の思し召しだからと言っても

なんら差支えなかったわけです。


ただ一点

自分がそれでよければ。


人間は時には神さまさえ騙します。

神様これが一生のお願い

という一生のお願いを
何度したか私もわかりませんw

神様を騙して
何度もお願いを聞いてもらおうというわけですねw


しかし

自分だけは騙せないのです。


私は今のこの私がいいんだ。
誰がなんといっても。
これが神様が与えた自分の姿なんだ

とかね。


けれど心の奥底では

わかってしまっているんですから

それは慰めに実際ならないわけですよ。



人には未来がわからない。
だから
運を天に任せると
生きるのが楽になります。

ただしそれを心底信じられる場合のみという但し書き付き。


そんなわけであっけなく私の転職の危機は去ったわけですが
しかし問題先送りになっただけで抜本的になんとかしなければ、ということに
気づけただけでもよかったと
自分に言い訳しますw


いかがでしたでしょうか。
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