ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

長所と短所

ロゴスの小径へようこそ。

誰しもに、長所と短所がありますよね。
他人が思うのと自分が思うそれは違うかもしれませんが

とにかくありますよねw


しかし考えてみると
長所と短所ってなんでしょう?

長所短所というからには
その基準となるものがあるはずですよね。

なにかを基準として、良い、悪い、としているのですから。

フグの毒が「悪い」のは、「人間が食べるにあたり」という基準から見るだけで
フグに悪意は無いようにw


そう感が手見ると
世界のすべては、「人間にとって」良いか悪いかという判断で
表わされていることに気づきます。

そして
人間を判断するのに「良いか悪いか」は


「社会に(あるいは国家に)とって」で判断されています。

つまり
長所も短所も「社会にとって」いいかどうかという基準に照らしています。

少し前までは(あるいは今でも)「女性はおとなしい方がいい」と言われていましたが

それも
「社会にとって」です。


「女性は社会進出すべき」と昨今言われるのも

「社会にとって」です。


その他のほぼ全てが「社会にとって」で決められています。



そしてそれは間違いではないのです。

殺人能力が高いことは現代の「社会にとって」良いことではない、というのは
正しいように思えるように

(戦国時代は「社会にとって」良いことだったかもしれませんね)

ある意味正しいとも言えます。


しかし同時に

それは「社会にとって」に過ぎず

社会が変われば

おとなしい女性より、バリバリ働く女性をよしとするように

良さの基準は変わってしまうものでしかなとも言えます。



で、話を戻しますと

自分の弱点、短所と思ってきたことって
恐らく子供時代に親に言われたり
人間関係から自分で感じ取ったり

そうして短所なんだなあと自分で思い込んでいるわけですが


こんなに社会が急速に変化している現代で

それはそのまま短所だと考えなくていいものという可能性があるのではないでしょうか。


そういう事例は実際たくさんありますよね。


と考えると


もしかして、この短所

今の時代にはアリかもよ?!


いや、そうでないとしても


犯罪に触れないのなら

短所だと思う必要はないですよね。


日本では「自閉症スペクトラム)」と言われる人は
良くないかのように言われますが

それは「日本の社会にとって」だそうで

彼らは特定の知能が一般人より秀でていて
海外ではむしろ大事にされているそうです。

「一般人なんかと一緒にしてはいけない」というように。
(というそれもまた「社会にとって」ですが)

日本では「皆と同じ」であることが大事なので


その基準でいろんな良し悪しが決められています。


皆と同じ

は便利ですからね、扱う側にとっては。



としたら

短所はもしかしたら
すごい宝物である可能性があります。


だって長所の方は

「どれだけこの社会にあっているか」の指針なので


自分が飛躍(その意味は人それぞれ)できるとしたら
短所の方に可能性があるということになります。

長所で飛躍している人はとっくにしているはずなのでw


そんなわけで私は
短所を野放しにしてみることに決めましたw

急に嫌な奴になるわけではないですがw


皆さんもちょっと試してみませんか。
ただし自己責任でw

悪化するとしたら人間関係くらい。

替わりに翼が授かるかもしれません。




いかがでしたでしょうか。
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