ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分を知る

ロゴスの小径へようこそ。

突然ですが愛犬を病気で失いました。

私の人生でこれ以上辛いことはもうないと思えるほど辛い出来事です。
過去にもわんこを看取ってきましたが
病気発覚から一か月半。

壮絶な介護でした・・・。

仕事も休むことになり
治療費もすごく高いし
とはいえ絶対に助けたい

そんな思いで突き進んできました。

こんな時に哲学なんかなんの役にも立たなくて
実際目の前の介護をするしかない。ただそれだけです。

まさにラッセルの幸福論です。
病気の子どもを目の前にして、人生とは何か、なんか考える間はない。
必死に治そうと奔走するだけです。


しかし同時に
失ってしまえばもうあとは
やはり哲学するしかないと思うのです。

哲学は人生に不必要であり同時に必要なんだと思います。



昨日看取ったばかりで
今は信じられないほど辛いです。
死んでしまいたいほどです。本当に。生きている意味が見出せないです。

けれど
そんな自分をどこか冷静に観察している自分。

息が止まった時に号泣する自分を

こんなに大きな声で泣けるんだ私と
私は観察していました。


この感じがまさに哲学体質なんでしょうね・・・。

そして今


自分の傷の癒え方について考えるとき

私は
とにかく悲しいことは考えないようにするのがベストだと考えていることに気づきました。


どうせ悲しいです。
どうせ忘れません。
どうせ死ぬまでひきずる痛みです。

だったら

少しだけ傷が癒えるまでは

今までしたくてできずにいたことを
やってみようと思うわけです。


それは先代犬が亡くなったときもそうでした。
友達とお伊勢参りに旅行に行き、行った先で明日もどこかに泊まろう!と延泊を決定。

そんなこと、わんこがいたら絶対にできない技です。
わんこが心配過ぎて。

辛くて辛くてしかたない、でも
そんな日常を抜け出して気の置けない友達と過ごした旅。

あの鳥羽の夜にホテルのラウンジでみた月を
私は一生忘れません・・・で、次に来たわんこはルナ(月)と言います。


今回もまたお伊勢参りに行くつもりです。

家でじっとルナのいた場所を見つめて
悲しみに深く沈むのは私には怖すぎます。
そのまま戻ってこれないような気がするからです。

むしろ弱いのかもしれません。


だから楽しいことでまずは埋めたい。

その方が愛犬も喜んでくれるような気もするのです。


私は子供時代から常に犬と暮らしてきました。

最長で一か月犬がいなかったことがあり、伊勢参りにはその時にいったのですが
その間だけです。


なので
人生は確実に変わります。

(ちなみに保護犬の援助は続けます)


犬を言い訳にできないとも言えますね。

それはできない、わんこがいるから

と自分への言い訳にもなってきた訳ですから。

子供がいるからできない、と言うのと同じですね。
でもできる人はできるわけで。


ああ自分は弱いんだな

とても耐えきれない

いい年をして実家の母に泣きつき大泣きして


友達にメールしまくって話を聞いてもらって
ブログにも書いて見ず知らずの人に慰めてもらって

他の楽しいことをあれこれ考えて

それでやっとなんとか立っている。


悲しみを直視できるのは少しだけ先です。


同時に私は
一人では悲しみを消化できないのだと知りました。

悲しくて一人旅、とか無理ですねw


誰かに話を聞いてもらって
同じ体験をした人に悲しみを引き受けてもらって

いろんな人に悲しい思いを一緒にしてもらってしまいました・・・

でもそのおかげで

なんとかなっているようです。


こんなときに
友達、大事だなと思うのはあまりにも自己中心的でしょうか・・・。

自分の周りの友達をみると、
本当に悲しい時は自分で消化している人が多いような気がします。
もしくは私が相談相手になれないだけかw


ただ、私を知る友達たちが私の相手をしてくれるのは

同時に私の強さも知っているからだと思っています。


つまり
犬のことにはめっぽう弱い私ですが

その他のことには頑丈にできているので

実際は心が病んだりはしないとわかっているのだと思います。


(違うかも・・・w)


しばし強がって生きてみます。


明日から早速職場復帰です。

実は今回のことで職場には非常にご迷惑をおかけし、
そして信じられないように便宜を図ってもらえました。


友達たちが(犬つながりの、実際には知らない方々も)話を聞いてくれたり
職場がこんなにもよくしてくれたり


もしかして私って案外
愛されていたのかも???と勝手にw

前向きに思えたりして。



愛犬の死はいろんな意味で私の人生を変えます。

10歳の頃からずっと犬がいた私にとって
これ以上の人生の変化はたぶんないと思います。

今は少し思い出しただけで
吐きそうに悲しいですが


また会えると信じて
今後は生きていこうと思います。

会えないかも、と思います?いえ会えますよ。そう思っていれば。

だって自分が死んでしまったらもう何もわからないわけでw

だったら会えると思っていた方がいいですから。

(いろんな宗教観がありますので宗教に帰依されている方はこの限りではないかもしれませんが)

友達が素敵な言葉をくれました。


動物は亡くなると虹の橋というところにいって
飼い主が死んでまた再会できるのを待っているというのです。

待たせるのがつらいと思いましたが

そこには時間がない、というのです。

確かに!!!時間という概念はこの世のもので
人間が決めたルールに過ぎません。
実際にそれが「ある」とは解明できていません。


愛犬たちはだから
また会う時には待っていたわけではなく
すぐに会えた、という感覚なんだそうです。

それっていいなと思いました。

そう思って生きていこうと。


だいぶ強がっていますが私

乗り越えるには自分を知らなくては。




いかがでしたでしょうか。
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