ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

心の空洞を埋めるには

ロゴスの小径へようこそ。

心の空洞を埋める方法を探すために
主に哲学から学んだ知識を消化しご紹介するために
立ち上げた独り言のブログが
このブログです。

心の空洞を埋める方法は案外簡単でした。

先日私は愛犬を病気で失いましたが

その介護をしている間は

心の空洞なるものは
全くなくなりました。

犬の命を救うべくできるだけのことをしつつ
犬との時間の全てを愛おしむ。

それに集中している期間は

虚しいだとか考える時間はありません。

それは誰でも同じですよね。
私の場合は愛犬でしたが

人それぞれだと思います。

ラッセルが『幸福論』で

もし自分の子どもが病気になったら
なんとか治そうと必死になる。

人間の本性とは・・・とか
人はどこからきてどこへ行くのかとか
人生の目的とはなにかとか
心が虚しいとか

そういう全てはもうどうでもいいことです。

世界の全てがどうでもいいことで
オリンピックなんか超どうでもいいし
戦争もどうでもいい
殺人事件もどうでもいい
天変地異もどうでもいい

とにかく目の前の愛する命を救いたいと

ただただそれだけです。

心の空洞に意識が行くということは

心に余裕があるということだったんですね。

しかし同時に

愛犬を失った今

また俯瞰して世界を見ることになります。

そうしてそれはやはり虚しさを内包してはいるのですが


私の場合はまったく世界の景色がかわりました。

心の空洞は空洞のままで
埋まらないのだと気づいたからです。

埋めたいなら悲しみで埋めるしかない。

幸福を少しでも感じている間は
虚しさは常に忍び込みます。

楽しいはずの時間でもふと虚しさを覚えるように


でも悲しみで埋めるのなんか嫌ですよね。
だったら空洞のままでいい。

その空洞を抱えたまま

私は今後は旅をして生きていくつもりです。
旅をして描く。

実は久しぶりに漱石草枕を読みました。

画工(絵描き)である私には
あの主人公の自分語りが
本当にまんま自分です。

お読みになられていない方には
うまく言えないのですが

旅の中に
自然の中に

ある意味虚しさを内包したまま
そのまま生きるというような

ここには松尾芭蕉とか
スピノザとか
ニーチェとか

漱石の思想が垣間見えるのですが

その根底は荘子なんだそうです。

虚しさをなんとかしようと
目的論的に生きるのが西洋世界、
キリスト教思想の世界です。

でもこの虚しさもまんま自然であり
そのまま受け入れるというか受け止めるというか
自然の中の一部として生かされるというか
生きるしかないというか

人間の立ち位置って本当はそこです。

目的を持っても
実はそこに向かって真っすぐ生きるなんてことは
人間にはほぼできません。

こうして頭で理論を考えてしまうのが自分の癖ですが

そうではない部分を
また描きたいと思っています。

いかがでしたでしょうか。

応援クリックバナーを貼るのが面倒なのでwやめにしますw

今後はtweetで呟いてみようかなと思っていますので
もしよかったら覗いてやってくださいw

絵を再開できたら
Instaともリンクしたいと思っております。