ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

思い通りの人生を

ロゴスの小径へようこそ。

今日は愛犬の49日です。
仏教を信仰しているわけではないですが

人生で49日を数える経験はそうないので
やはり意識してしまいますね。

愛犬がいなくなって
私の人生は「自由」になりました。

もちろん自由の定義はいろいろありすぎて「」付にするしかありませんがw


私を縛っていたのはもちろん犬ではありません。

私自身です。

つまり人は自分の思い通りの人生を生きているのだそうです。


人生なんか、思い通りにいかない!!!!と

思ったりもしますよね。
もちろんそれは正しいのですが

ある側面でみれば、人生は思い通りに「しか」生きられないものです。


例えば、この世は死後天国に行くための修行の場だ

と考える人にとって人生とは「修行」です。


そんな風に
人生をどう捉えているかによって、その人の人生が決まるわけです。
決まる、とはその人にとって、という意味です。
つまり決まる、というよりは自分で決めるわけですね。

人生はつまらない
意味が無い

と思う人の人生はその通りのものです。

私も以前はそれに近かったですね・・・

人生とは死を迎えるまで我慢するもの

いえ、楽しいんですよ
けっこう恵まれた人生だと思っています。

けれど

人生には意味がなく目的もないと思っていたので
ある意味虚しいわけです。

仕事の成功だとか
自分の成長だとか
そういう自分なりの目的をもって
イキイキと生きている人がうさん臭い、じゃなかったw
うらやましい、と本当に思うわけですが


けれど犬の病死という私にとっては大きな出来事が

私に気づかせてくれたことは

自分の人生をどう生きたいかは
自分で決めるのだということ。

つまり

辛い出来事や苦しいことは誰にでもあって
避けられません。

けれど
それをどう受け止めるかは人それぞれ。

試練を自分の成長の養分だと思える人にとっては
それは養分なんでしょう。

人間関係のストレスの大きい人にとっては
人にどう思われるかがその人の人生なんでしょう


オリンピックなんか見てると
スキーのジャンプとかあんなに高いところから滑るなんて
怖くて絶対やりたくないです。寒いし。
メダルもいらないからやりたくないです。

でも

当事者にとってはそれは人生の全てなんだと思います。

もちろん私にとっての人生の全てとも言えなくもない(弱っ!!w)ことはあります。

でもそれは他人にとってはどうでもいいことだったりもします。

そもそも哲学でチマチマと細かいことを深く深く考えるなんて
どうでもいい人にはどうでもいいことです。



そんな風に
自分の人生をどう生きるかは自分が決めるのです。


自分が決めて自分で生きる。
それが世阿弥の言うような「花」ということの意味ではないでしょうか、とちょっと考えています。

自分の人生を生きるのに

「でも子供がいるから」とか「犬がいるから」とか「お金がないから」とか
そういう言い訳は全て不要です。

言い訳した段階でもう既に

言い訳するのが人生、になっていますから

その人の思い通りの人生=言い訳

ということになりますねw


変えられないものは変えられないのですから

そこからどう生きるか、ということを真剣に考えるということをしないと
自分が本当にどう生きたいかがわからないなら

それを目指すことも難しいですよね。


もちろん自然体でそれをやっている人もいますけれどね。
例えば・・・

寅さんとか?!w


人がどう思うかとか関係ないわけです。

まあ、
自然体でそれができない「常識人」の私たちは


考えるわけです。どう生きたいのかを。


私は決めています。

私は風に吹かれる雲のように生きるのです。


予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず・・・


旅するように生きるつもりです。


この世とは
お釈迦様があの世から遊びに、観光に来ている場所なんだそうです。

だからあなたも私も、お釈迦様なんだそうですよw

ひろさちやさんの本にありました)


死して他の世界に行くまでに
この世界を遊ぼう

風に吹かれるままに
したいことをしてしたいところに行こう


そう決めました。

それは実際旅行にも行きますが、旅行というだけの意味ではありません。

小さいことですが例えば


今日は会社が暇だったので早退しました。
そして図書館に行って、週末講座を申し込んだ哲学の先生の著書を借りてきました。

会社が暇でも誰も早退なんかしません。
会社に印象も悪いですし
結果的には稼ぎも減ります。

でも

私はその時したいと思ったことをしようと
そう決めたわけです。

もちろん何がしたいか、何ができるのかは人それぞれですが。


うーん、文章にすると難しいですね。

そしてこうしてチマチマと文章を書きつつ理論導き出そうとしているあたり私は

まだまだ風に吹かれるようには生きてはいなくて

ロゴスの小径の迷路の中にいるんだと思いますw


いえ多分一生抜けれないと思います、ここからは。

しかしそれもまた私の思い通りの人生の中に織り込み済みです。



理論ばかり追いかけてきたここ数年。
週末は大学の先生の講義です。スコラ哲学です。

楽しみ!!!

お金がかかるな、とか
時間が、とか
難しいかな、とか

そういう全てを乗り越えるちょっとした努力というか勇気もまた
長年犬の介護(先代、先々代とずっと介護をしてきました)をしてきて
気軽に出かけることに慣れていない私には

自分の本当に生きたかった人生を生きる一歩になっています。

風に吹かれる雲みたいに
自分の「好き」に押されて流れてみよう。