ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「結論」の危うさ

ロゴスの小径へようこそ。

先日、自分の大学の公開講座に行ってきました。
内容は「人と繋がる」がテーマで、
「人と繋がることはいいことです」的な例のアレかな〜とかw
思っていたのですが

内容は全く違いました。

繋がる

をテーマに、人類学的、社会学的な事例を紹介する内容でした。

例えば
人と繋がる、といっても「死者と繋がる」ということ。

えっ心霊話???と思うかもしれませんがw

しかし例えば亡くなった家族が会いに来てくれた、と思うのなら
それはもう「繋がり」ですよね。

幽霊の実在がどうの、という問題ではなく。

また、例えばボルネオの密林。
数十年前まではジャングルだったのに
現在では地平線まで続く、パームやしの畑だそうです。

つまり自然破壊です。・・・けれど

それを他人事のように非難することはできません。

なぜなら、そこでとれるヤシ油は
洗剤やお菓子などさまざまなものに使われていて
その販売先のほとんどが先進国です。

現地で使用するのはわずか3%程度だそうです。

同じように、外貨を得るために、先進国が必要とするものは
後進国」で栽培されています。
コーヒーやトウモロコシや
いまや私たちに必要不可欠な食材や原料。

けれど、そのおかげで土地が奪われ、現地の人の食糧が激減し餓死に繋がる・・・

など深刻な問題を抱えています。

見えないですからぴんときませんが

これもまた「繋がる」です。
いまやいろいろな意味で世界は繋がっています。

また、人工知能の問題にも触れました。
繋がるのは生き物だけじゃないですよね。
人工知能の進化した未来には
楽天的な意見と悲観的な意見がありますが
その両方を紹介いただけました。

皆さんはどう思います?
人工知能は便利でしょうか?怖いでしょうか?
ターミネーターのような未来に繋がってしまうのでしょうか??

そのような事例を聞くと、いろいろな思考に繋がりますね。

簡単に答えは出なくても、
一人ひとりが真剣に思考することだけが
明日の地球を変える可能性を持っているのです。
遠回りみたいですけど、それしかありません。


さてそんな講演会の帰り道
同行した友人が言いました。

「おもしろかったけど、結局この先どうしたらいいのかの提示がなかった」と。

すかさず
「こんな大きな問題に即答できるなら
それは啓蒙か宗教だよ」

と答えましたが。

結論から言うと、では明日から洗剤を使わずに洗濯してください。

と言われて実際できるのか?という問題を横に置いたとしても


「自分で思考せず」に、結論だけ信じてそれを実行するということの
なんという危うさ。


なぜそう考えてしまうかというと、
思考するのは人間にとって面倒だからだそうです。

真夜中の誰もいない信号で、
赤だけど車は全く通らないし渡ろうかな、でも誰かが見ているかもしれないし・・・

などと考えるくらいなら
何も考えずに青を待った方が楽なわけです。

しかし何も思考せずにそのまま他者の言うことを聞くのなら
その悲劇は歴史が証明していますよね。
戦争や弾圧に繋がってきた悲惨な歴史に。

宗教であってもそうです。
自分で教義に納得するなり思考するなり体験するなりして信じるのではなく

「ご利益あるから」と言われて大金を出してお守りを買ってしまう

というようにそのまま信じてしまう危険性。

それはしかし私だってそうです。
国に税金を払えと言われてそのまま信じて払っています。
いえ、信じていなくても調べ上げて根拠が得られないなら支払わないと裁判を起こす、など面倒です。
だから思考も行動もせずそのまま支払っているのですから。

「結局こうするべき」というような結論を持っている人の話は

何かを啓蒙もしくは売り付けようとしているということです。

この原理はたいていいろんな経済の場面で見られますが。

大学の講義では(これ以外の講義でも)
たいていこうすべき、というような「結論」はありません。

哲学は、こうするべき、という啓蒙はしないのです。
替わりに「こう考えよう」という方法や枠組みを与えてくれるものです。

いかがでしたでしょうか。

お陰様で早くも10位以内に入りました♪ありがとうございますm(__)m
普段生きていてもなかなか出会えないお仲間がどこかにいてくれるんだな〜と思えてうれしいw
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