ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

正しいか正しくないか

ロゴスの小径へようこそ。

世界は「正しい」かそうでないかを決定して成り立ってきました。

火傷に油を塗る(昔はそうしていたそうです)→正しくない
火傷は冷やす→正しい

のように、一つずつ吟味して
より正しいものへと向かっています。

子どもの頃から
赤で渡るのは正しくない、青は正しいというように

友達と喧嘩するのは正しくない
みんな仲良く、が正しい というように。

しかし本当にそうなのでしょうか?

世界はそんな風に、正しい、正しくない、で二分して
いつか「より善いもの」に到達できるのでしょうか?

だとしたらなぜ宗教による戦争がなくならないのでしょうか?

例えば病気にいろいろな投薬をして
この抗生剤が正しかった、とか

科学的な検証をいろいろしてみて、これが正しいようだ、とか

経済発展のためにはこうするのが正しい、とか

そういう部分であある意味正しさを決められるそうです。
だって何にむかっているかがハッキリしていますから。

けれどそれを、哲学が倫理、つまり
生き方の問題に当てはめることはできないと言います。

例えば
「自分の意見をはっきり言えるのが正しい」というような思想が
日本でも蔓延していますが

日本人の性質として
また日本人が美しいとしてきたもの、あるいは生き方、もしくは習慣として

自分の意見を言うのは差し控えて
皆の意見を調整しよう、すり合わせよう

というような思想もありますよね。

和を以て貴しとなす のが日本人の特性ともいえるわけです。

それをずっと続けてきたのですから
言いたくて言いたくてムズムズしているのを我慢する、というのではなく

以心伝心のような
なんとなく通じ合うような

悪く言えばソンタクするようなw

そういう文化なわけです。


そこに、自分の意見を言いなさい、という西洋的な思想を押し付ける。
それが正しい、とする

自分の意見をはっきり言えない子供は
どんどん傷ついていきます。

意見がはっきり言えない自分を責めて
自分が悪いのだと思わされて

いじめにあったりもするわけで

それも日本人の自殺者が多い理由の一つと言われています。

自分はいじめっこではなかったから関係ない、ではなく

問題は
「意見をはっきり言うことが正しい」と教育(あるいは啓蒙)されてしまっているだけの自分に気づかず
それを「正しいこと」と多くの人が認識してしまっていることです。

なぜ意見をはっきり言えないといけないのか?
語らずとも深い思考を持つ人はたくさんいます。

むしろ、本当にものごとを知れば意見を言うことが難しくなります。
なぜなら

「これが正しい」ときっぱり言いきれるものなど
ほぼないことを知っているからです。

さきほどもテレビで池上彰さんが
日本と海外の違い(学校など)を解説されていました。

日本は海外に遅れていると取れることもあれば
進んでいるといえることもあって

池上さんは最後に
「だから日本は悪い!というのではなく、違いを知ることが大事」
というようにコメントされていました。

「だから日本は悪い!遅れている!」と自分の意見を言うことが悪いわけではありませんが
一概にそう言いきれません。
だから、なんではっきり悪いと言わないの?と思う人には
ある意味歯がゆいコメントなのかもしれませんが

ものごとを多方面から見れば
一概に正しい、とは言えないものです。

唯一の正しさのようなものがあるのなら
戦争は無くなるはずです。皆がそこに向かえばいいわけですから。

ですから
こうするのが正しい、と言えるのは

この病気を治すにはこうするのが正しい、

というようにゴールがはっきりしている場合です。

けれど
正しい生き方のようなものは明示されていませんよね。

国ごと、宗教ごとにその内容が違うくらいですから。


なんて偉そうに書いていますがw

私もほんの少し前までは
世界の全てはだんだん正しい方に向かっていけばいいし
そうなっていると思い込んでいました。

10年くらい前でしょうか、とある本で

一夫一婦制が「正しい」というのは人類の普遍ではなく人間が決めたルールでしかなく
キリスト教がベースになっていますがその方が政治的・経済的に便利だったのかもしれません)

一夫多妻が正しいとしている国もある

と読んだことです。

いえ、そんなことは知っていました。
日本だって昭和の初めころまでは、力のある人はお妾さんがいるのは当然だったわけで

けれど、それは時代のせいで、
昔は間違っていた、今は正しい

と思い込んでいた、ということに気づいたのです。


世界は
正しいか正しくないかで二分はできない。

哲学書の多くはそのことを言っているのです。

二分した方が思考としては楽なのですが
世界はそうできていないのです。

もし世界中の人がたった一つの宗教を信仰していたら
「正しいもの」はある、ということになるはずですが。


今日放送大学の講義でシンギュラリティの問題について話していました。

人間は、人類全体でたったひとつの正しさのようなものを持っていません。

AIにはそれを教えないと
一部の「正しさ」の知識に傾倒すると危険な方向に向かうというのは
私たちでも想像つきますよね。

何か自分が

これが正しいのに!と思ったときは
もしかしたらそう言いきれないのではないか、と自問すると
はっと気づくことが多いです。
ぜひ試してみてくださいね。

特にすごく怒ったりイライラしているときは
それで気が楽になることもあります。


いかがでしたでしょうか。
我ながら万人受けしない内容だよなーーと思いますがw
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